第16回 青山俳句工場向上句会選句結果

(長文注意!)

3回目の超特選大会を終えて、また気持ちを新たにしての向上句会である。
今回から工場長に題を出して貰うことにした。
第16回のお題は「海」。
基本的に1句は題詠。(※今まで通り自由詠で2句提出したい人はそれもOK)
その方が勉強になるかな?などと思ったので、さっそくトライしてみたのである。(←思いついたらすぐやってみるの^^!。)
もっとも今回は、一句題詠と発表する前に投句をいただいた方が若干いらっしゃったので、その方たちの作品はそのまま自由詠2句をリストアップさせていただきました。
山口のマックが壊れたりetc.と、とにかく波瀾万丈の向上句会ですが、今後ともよろしくお願い申しあげます。

向上句会とりまとめ:山口あずさ


投句:宮崎斗士,千野帽子,中村安伸,白井健介,摩砂青,満月,朱夏,いしず,さいだしげる,しんく,にゃんまげ,またたぶ,まひる,越智,岡村知昭,鯨酔,桜吹雪,山本一郎,子子,秋,小島けいじ,松山けん太,城名景琳,杉山薫,足立隆,朝比古,鉄火,田島健一,吐無,凌,林かんこ,鈴木啓造,山口あずさ


全体的な感想

:題があることで作者の方法が見えて来るように思います。これはよいことです。イメージがひとりよがりになるか、それとも作品として他者へ訴えるかの境は紙一重と思われます。
健介:コメントがだいぶ少ないですけど手抜きではありません。(と、日記には書いておこう。って、すんげぇ〜古いフレーズだぁ。こういうところで歳がばれる……)
いしず:選句は難しい。今回は面白味のある句を意識的に選句した。
桜吹雪:題詠にしたために、今まで拡散した印象だった句会に、あるまとまりが出てきたと思う。いい意味で比較がしやすくなったということだ。
満月:今回はかなり変わってきているのを感じた。みんな頑張ってる。頑張ってる人に負けないようにのびのびおおらかにやろう。みんなっ、愛してるよっ!
またたぶ:前回まで「つきすぎ」の件など、コメントが横着だった点を反省し、今回は冗舌目に心がけた。お互いの評によって向上していきたいと願ってますので、つっこみ句会でもよろしくお願いします。
吐無:俳句ってなんなの、と考えてしまった。常識が多数決原理に従っているとしたら、私は常識はずれか。しがない人生、詩がない俳句。
鉄火:題詠って、とてもおもしろい試みですね。とくに季語から外れているのがいいと思います。
越智:はじめて参加させてもらいました。面白いですね。
:これはひどい、という句もなかったけれど、これはこれは、というのもありませんでした。題詠は興味深く拝見。
景琳:きっと綺麗で秀作は、誰かがとるだろうし。あえて、まか不思議の発見をとった。今回〔63句)は、夏のかき乱され感覚いっぱいだった。
けいじ:随分と久しぶりの参戦。この数ヶ月で自分の句のどこが悪かったのかをここで指摘されたことをもとに考えてみました。結論としては、悪いところを直すより、持ち味(そんなもんあるのか)を意識して鮮明にしてみることにしました。料理が不味いといってメニューを変えても解決にはならないので、調理法を変えた、といった感じでしょうか。今回の結果を見てからもう少し考えてみたいです。
:選んでみたら、海ばかり。これも、題詠だったのですか?
:言葉と言葉がぶつかり合って、あるいは手に手をとって表す面白世界。いい句がいっぱいあって、十分過ぎるほど遊び心を堪能させていただいた。しかし決してふざけてはいません。
朝比古:あずささんに誘われて、初めて参加。あえて、タダゴト句を投句してみました。結果が楽しみです(色んな意味で)。
子子:近頃俳句が読・みたくて、素敵なサイトを見つけた!と思って、思わず投句してしまいました。とても、とてもハイレベルなところだったんですね。ごめんなさ〜い!
朱夏:ごめんなさい はじめてなんでやり方がよくわからないんでとりあえず特選句のみ
けん太:今回選んだ句はみな、かなり理屈っぽい。これはボクのせいか。はたまた今回のこの句会の特長か。でも、この理屈っぽさはあまり嫌味にはならなかった。
帽子:モデム不調で選句送信が遅れ、ご迷惑おかけしました。
斗士:「海」、面白い作品がたくさんありました。嬉しかったです。

15点句

猫ふいに海のかたちにもどりけり   満月

特選:子子 特選:桜吹雪 特選:しんく 凌 隆 吐無 青 秋 越智 一郎 安伸 まひる

桜吹雪:海には「かたち」がない。猫の自在感は「ふい」という副詞と、その海との関連でよく表されている。気になったのは「けり」という切れ字。何故、この句にこんな古めかしい切れ字をもってきたのだろう。「けり」でケリがついて猫はついに猫の形に戻らぬまま消滅するということか。
またたぶ:「ふいに」は詩情お手軽醸成語として多用されがちなので、勘案されたい。ひところ毎回出てた猫句よりはずっといい。
秋:季語がないんですけれど、猫の生態、飼われていても決して占有されない自由さを持っている、それが大変よく出ているように思いますので、頂く事にしました。猫の自由さは夏の海につながるようにも思えます。
吐無:水盤に活けたり、海になったり猫も夏は大変だ。また猫を選んでしまった。猫のでれーっとしたところ、確かに海の形を感じさせるところがある、発見だ。
越智:言葉では表現できないけれど、とてもひかれます。
しんく:猫の持つあの浮遊感は、原始の海を想い起こさせる。当然ながら犬では出せない味。
一郎:「海のかたち」という言葉が美しい。
凌:俳句の575という形式を冷蔵庫から出して湯でもどす。そして十分に柔らかくした散文的日常世界をたっぷりと鑑賞して、また冷蔵庫で形式に固めておく。それでも俳句を鑑賞したことになるのでしょうか。そんな俳句鑑賞より海のかたちにもどってしまった猫のほうがよっぽと面白い。
安伸:猫を新しい感覚でとらえて絶妙。
子子:こういう句が、読・み・た・か・った・ん・で・す。
つっこみ句会選句評:
健一:この句は、「取り落としたな」と感じました。いい句だと思います。
あずさ :わたしもこの句に惹かれました。が、どう<戻る>のかが掴みきれなかった。採られた方、どう<戻る>のか教えていただけるとありがたいです。行方不明だった猫が波が戻るみたいに戻る、とかも考えたのですが? それじゃつまらないし。。。猫の形が海の形に戻るのでしょうか? いま一つ像が結ばないのです。
斗士:僕も同感。海の「かたち」という表現は、表現として決まってないように思う。やや無理があるんじゃないだろうか。(言い換えれば、僕にとっての「海」というものは、「かたち」という器に収まりきれないものとしてあるということです。)猫と海との取り合わせは面白いし、「ふいに」も効果的だと思ったけれども、「かたち」で選からはずれてしまった。。。
凌:あれだけ点の入った句ですから、誰かが何かを、と思っていましたが、私もいま一つ像のみえないもどかしさはありました。しかしこの句の場合は具体的な像を求めなくてもいいのではないかと考えました。まず海に形があるのかどうか。形がないからこそ、それぞれに個々のイメ−ジの中に自由に海の形を持つことが出来るのではないか。そして曖昧模糊(何を考えているのか分からない)として実体の見えない猫の、ふっとして動きの中に作者は海の形を見たのではないか。しかし「もどり」とは、元の姿、あるいは形になるということですから、ここが曖昧ですが、「海の形になる」という常識をひっくり返した面白さが「もどりけり」にあると思いました。「けり」についてはよく分かりませんが、私は曖昧さを正当化する作者の意志と読ませていただきました。
勿論この読みにも迷いがあり、まったく根底からの間違いなのかも知れません。そこを指摘していただくことも、この読みへのご批判、ご批評は望むところで、そのためにここに勉強の場を求めています。ただ議論は苦手です。
まひる:「猫」と「海」って字面が似てませんか?わたしは「猫」という字をじっと見ているとふいに「海」という字が見えてくるような気がして採りました。春の海のように、ひねもすのたりのたりしている猫がいて目を離したすきに海に戻ってしまってる猫にはそんな不思議な神秘性を感じるのですが。
一郎 :私は「海のかたち」という言葉の美しさに惹かれて採ったのですが、実はこの句の像を結べていません。なぜだろうと考えたら、「海のかたちにもどる」きっかけが描かれていないからだと思います。起動力みたいなもの。背景。「風が吹けば桶屋が儲かる」の「風が吹けば」みたいな。もちろん因果関係になりすぎては句をつまらなくしてしまいますが。この句の場合、きっかけがなく、背景もなく、「ふいに」なわけで、だから分かりにくい。それがいいのかもしれませんが、私にはそれがこの句の弱点のように思える。
安伸:この句は、攝津幸彦の「抛らばすぐ器となる猫大切に」という句を前提にするとわか
りやすいと思います。どちらも猫のしなやかに変形する特性を更に推し進めて、イメージを作り出そうとしているし、作られたイメージにも共通する感触があると思います。攝津さんの句の「器」は具体的な形をもたず、抽象化された物体であり、一方「海のかたち」というのは「かたち」という言葉の間尺にあわない、つまり「かたち」を否定する「かたち」である。
攝津さんが「大切に」とはぐらかすように書いたところにマジックがあるのに対して、「海のかたち」の句は「もどる」と輪廻する回路を導入し、単なる類想となることを免れたのではないでしょうか。
ただしこの回路じたいはごくありがちのもので、攝津さんの句が現代俳句の金字塔であるのに対して、この句はごくありがちな秀句にとどまっていると思うのですが。
越智:私は海には形なんて無いんだから、その「海のかたち」は「無」と言う形、「無」にもどるのだろうと思いました。で、猫が空中分解して消えてしまったような印象にひかれて戴きました。
と、幼稚な発想で鑑賞していましたので、中村さんの解釈には大変感動いたしました。ありがとうございました。
またたぶ:(安伸:この句は、攝津幸彦の〜「かたち」である。)
そう言われてようやく「そんなんあった」と思い出しました。う〜ん、でもこんなに過保護に説明してもらってやっと摂津さんの句の値打ちが頭でわかったというところです。心の深部には響かないなー…… まだまだ私の修行不足か。摂津俳句は私にとって高いハードルです。
反面、「猫ふいに…」の句はあまりにも分かりすぎて(猫と海が近すぎて)魅力を感じませんでした。
あずさ:「抛らばすぐ器となる猫大切に」この句は説明できますよね。猫のfragile(=壊れやすい感じ)がよく出ているし、<抛る>という言葉に毒も込められている。ここで<大切に>としたところで、バランスがとれたのかもしれません。<猫ふいに…>は毒気が足りないのかな?<水盤に子猫を生ける>方は、毒が強すぎるのかも。

10点句

怪獣図鑑から海が漏れている   千野帽子

特選:薫 凌 隆 満月 鉄火 知昭 啓造 一郎 いしず 

隆:怪獣の大きさが海の水をあふれさせる。それが面白いし、それだけとも云える。
健介:こういう発想は好きです。相当にイケてます。
満月:おおらかな郷愁、無邪気か、邪気か、海を漏らしながら<怪獣図鑑>は眠る。ゆったりとその海に揺られながら。
鉄火:怪奇というよりも何となく不安な少年の心というものを感じますね。
薫:知らないうちに少しづつ漏れていく海。キングギドラが見下ろした海。ゴジラの生まれた海。海の住民=怪獣のほうが多くなっていくのだな。
一郎:おもしろい。でも、「怪獣」と「海」の取り合わせはどうか。どちらも大きいからなのか、インパクトというか求心力に欠ける。
凌:正統な俳句というものがどんなものかは知らないが、俳句がここまで遊んでいいものか、という思いはある。しかし、理屈抜きに好きな句だ。
啓造:みなさんの解釈が楽しみ。
つっこみ句会選句評:
あずさ :この句も今一つイメージが捉えきれなかった。隆さんの選評のように、怪獣が海の水を溢れさせるというのは面白いと思うが、句は<図鑑から>と書いてあるし、<海が漏れている>と表記されている。採った方、こちらもフォローよろしく。
一郎:私はこの句を採りました。怪獣の生態って素人には、抽象的に海に住んでいるか陸に住んでいるかしかとらえられない。だから怪獣図鑑から海が漏れているってよくつながります。
でも、私は採りながら、いちゃもんも書きました。どうもインパクトがうすいのです。怪獣が現代の現実の生き物じゃない。そこへ持ってきてこの場合の海も抽象的な海である。しかもつながりすぎている。これ、私好みで言えば、怪獣図鑑じゃなく昆虫図鑑だったら特選にしていたかもしれない。
薫:My特選句なので、弁護しなくてはね。意味は字義どおり。その通り誰しもがナットク。(するか?)ふつーのことばでふつーの意味。怪獣はいつも図鑑の中にちんまり5センチくらいの大きさで整列していて、決して外に出ることはない。(はず)ところが「海が漏れている」と断言した瞬間にちょっとづつ日常に漏れはじめて、怪獣の恐らくぬらぬらした感触が爬虫類→怪獣→人間の境界を危うくさせる。えぇい、みんな海から産まれたんだぜぇ、ってことでこの怪獣と海はあっぱれに動かない。(と思うのですが・・・)
昆虫だったら、ここまでしんぱしーが湧かないと思うので並選にしたかも。
あずさ:なるほど。つっこみ句会をしてて良かった!と思う一瞬ですね。やっぱり対話ができるインターネットはいいっすね。
満月:この句、怪獣が漏れてくるのではなく図鑑から海が漏れて来る。そこにあるのは図鑑で、少年は今見たその中の怪獣達の印象の中でうたた寝を始めてしまった。怪獣成分を含んだ海が漏れだして自分を浮かべる。少年はその一匹に乗り・・・・・ネバーエンディングストーリーが始まった。。。現実と夢想の境を失うための触媒としての海の漏れ。こういうものをいくつか、大人になっても持っていたい。
杉山さんの読みもとても面白いですね。
8点句

恋愛や書棚に青葉木菟を飼う   宮崎斗士

特選:朝比古 特選:秋 健一 越智 一郎 けん太 

朝比古: 上手い人だと思う。青葉木菟は絶妙。上五の大胆な置き方もよい。
健一:「書棚に青葉木菟を飼う」という表現が曖昧でどういう状況なのかよくわからなかったのですが、なんとなくとっちゃいました。
けん太:「恋愛や」と言い切るところがすごい。これも論理がやや勝っている。
秋:なんだかとても落ちついた大人の愛を感じます。「書棚に青葉木菟を飼う」の飼うに温かなものを感じます。そして知的です。恋愛は烈しさそういうものだけでなくかく在りたいとも思うのですが。。。含んだものが沢山あるステキな句です。
越智:個人的には、青葉と木菟が跨っているのが少々苦手ですが、恋愛って何かこう大木のうろに落ちたような時間に思える時があって、そのうろには青葉木菟がほうっほうっ(ふくろうみたいに鳴くのかな?)と巣を作っている。恋愛の暗い淵を温かく表現されていて好きです。
一郎:「書棚に青葉木菟」っていうのがおもしろかった。でも、なぜ「恋愛」?実はこの部分でイメージをとらえ切れていないのです。
満月:中七下五は好きなのだが。<恋愛や>・・・あまりに言葉が抽象的かつイメージがいろいろありすぎて一句全体の印象が散らばってしまう。
またたぶ:「恋愛や」なんて大上段な上五の承けとしては悪くないと思う。ただ先行句にありそう。
つっこみ句会選句評:
あずさ:<恋愛>という言葉そのものの難しさで、意見が分かれたようだ。 <書棚>と<青葉木菟>は梟がそもそも知恵の神様だったりすることから、ちょっと近すぎるような気もする。
※参考:<青葉木菟>(青葉の頃鳴き始めるからいう)フクロウの一種。大きさはハトぐらい。背面は黒褐色、腹面は白色に黒褐色の縦斑がある。市街地にもすみ、夜間に「ホーホー」と鳴く。中国・日本などに分布。日本では夏鳥。−−−広辞苑より。

斜塔あり金魚のなかの海晴れて   またたぶ

特選:帽子 特選:一郎 特選:まひる 青 満月 

満月:<金魚>からいろんなイメージが出てくる。そうか、斜塔が。それも<金魚のなかの海>が晴れたからだというのか。晴れて見えるのが斜塔。危ういバランス。曇ってしまうと、斜塔は崩れ落ちてしまうのか。どこか言葉の積み木細工のような感じの句。昔遊んだ、紙を切り抜いてつくる着せ替え人形のような。
一郎:言葉のつながりがかっこいい。自分にはとても作れない句。
まひる: 路地裏を夜汽車と思ふ金魚かな 攝津幸彦のノスタルジックさとは違って近未来的な映像を思い浮かべた。攝津さんの句が滝田ゆうの描く漫画だとすればこの句は映画「猿の惑星」のラストシーン。倒壊した自由の女神が映し出されるショッキングな場面を想起させる。
つっこみ句会選句評:
あずさ:金魚の中の海とはいかなるものか? 考えたら、猫と海、怪獣図鑑から海が漏れる、金魚の中の海、とすべて題詠で、しかもわたしはこれらの句のイメージがすべてつかめなかった。みなさん、よろしくご教授ください。
またたぶ:「森トンカツ、泉にんにく、か〜こ〜まれてー……」
斗士:ちょっと意味がわからないんですけど。。。禅問答みたいなものですか? あ、でも「ブルーシャトー」の替え歌だってことは知ってます。
あずさ:同世代!
斗士:あっ、もしかしたら「斜塔」と「シャトー」を、かけているのかな。。。
またたぶ:すみません。こう展開されてしまうと、もう「はい」とも言えないですよね…
斗士 :最初に読んだ瞬間、パッと気づくべきだったなあ。大ボケで、どうもすみません。
一郎 :最初の問いとは関係のない展開になりました。この問いに正面から答えた意見を期待しています。「おまえから言え」って?それがねえ、この句、採ったんですが、言葉の展開がかっこいいなあという理由だけで採ったので、実はイメージはつかめていないのです。だからぜひ他の人。
またたぶ:おちゃらけてすみませんでした。責任をとる意味で?感想を書き込みます。金魚は淡水魚ですから、体の内はおろか外にだって海はありません。物理的常識的な意味では。でも、あらゆる生物が海から進化したように、生物の体内は海になぞらえられるかのような生命力に満ちているのでは、と思います。金魚のなかの海はいわば観念上の海ですが、それに「晴れている」という具象性が与えられたこどで、金魚という小魚が宇宙的広がり(は大げさか)を帯びてくる。ただし、「斜塔あり」とどう結びつくのか、その組合せが効いているのかは判断がつきません。「斜塔あり」は別に生かして、他の上五が探せるのではという気がします。

蝉しぐれ海は小さく欠伸する   鉄火

特選:けいじ 朝比古 桜吹雪 健一 越智 一郎 いしず 

桜吹雪:擬人法がやや常套的か。蝉時雨に対応する海のおだやかさを表すために使ったのだろうが。
またたぶ:「のたりのたり」のおとなし目ヴァージョン。「蝉しぐれ」がお行儀よくまとめてしまった感が。
越智:蝉しぐれが激しい程、世界の音は消えてゆく気がします。人類が消え去ってしまった世界では、安心して海も欠伸しているでしょうね。外国の絵本を見るようです。
一郎:肩の力が抜けた(もちろんいい意味です)。剛球ばかりでなく、こういう球もいいなあと思った。
朝比古:こんな感じ何となく解る。
けいじ:”海の欠伸”の表現がことのほか気に入りました。蝉しぐれに、ややとってつけた感が否めませんが、お題の海の句の中では一番好きです。
健一:海が凪いでいるのではないでしょうか。それが「小さく欠伸」しているように感じた、という解釈でいただきました。そう読むと「蝉しぐれ」が効いていると思います。「海は」とするよりも「海が」として、海に焦点を絞った方がいいと思いました。
あずさ:ざぁぷ。(←小さいあくび)くらいかな。
7点句

すこしだけ空を動かす蛇苺   中村安伸

特選:隆 健一 しんく けん太 あずさ 帽子 

隆:蛇苺は小さなもの、そして何となく触ると指先が腐敗しそうで触れることをためらわせるものです。その蛇苺が空を少しだけ動かした。蛇苺の持つ不思議な力を感じさせる。少しだけ動かす瞬間を目撃した作者は幸運だったのか不運だったのか?
しんく:類句はあるかもしれないが、魅かれる句。
健一:「空を動かす蛇苺」が面白いと思いました。「すこしだけ」はもう一歩踏み込めるような気がします。
けん太:断定の魅力。蛇苺のパワーがかなり新しくとらえられていると考える。
あずさ:ちょっと曲がってたんで直しときました。

薬局のように海月(くらげ)のうごくなり   宮崎斗士

特選:凌 特選:安伸 青 秋 薫 逆選:満月 

満月:強引な直喩。かつての「前衛俳句」はこういう風にエスカレートしていって終わったのではなかったろうか。
秋:海月の色、形、質感には病的なイメージがあります。ですから、薬局のようにうごくというのに抵抗感なく繋がるように思います。海月が病人のように思えて、青白い顔をして薬局に薬を求めにいく姿か浮かび上がってきます。病んだ現代の象徴句ではないでしょうか。
薫:メメクラゲに刺されたときも薬局に行くのだ。薬包はきっと蒼く透き通ってると思う。
凌:「海月」と比喩する薬局、いや「薬局」と比喩する海月、どちらも怪しげな存在だ。「薬局」は少なくとも風邪薬や胃腸薬しか買わない健全な奥様の相手をする薬局であっては困るし、夏の光に浮遊する落下傘のように美しい海月の群であっても困る。もうさびれてしまった商店街の片隅にぽつんと取り残されている流行らない薬屋がある。看板を「薬局」としているのが保健所とか世間をあざむくいかがわしさで、ここでは子堕し、子ごろし、秘薬、媚薬の類しか売っていないという。海月のように掴みどころのない、赤ら顔の男がここの主で、顔を隠して出入りする女たちをからかいながら、ヒソヒソ話をしているその男のいやらしさにゾッとしたことがある。いやもっと明るくいやらしく大病院の全面ガラス張りの薬局の、声も立てずに伸びたり縮んだり、のけぞって笑ったり抱き合ったりする白衣の薬剤師たちこそが水槽の海月なのかも知れない。
安伸:海月を薬局というのは凄い。
6点句

リンゴ切る母の背中が透きとおる   山本一郎

特選:越智 子子 健一 鯨酔 しんく 

またたぶ:「透きとおる」は詩情お手軽醸成語で俳人に愛用されている。骨や血管が見えてきてしまうし、「リンゴ」の必然性もわからない。
越智:母なるものの神秘、母への憧憬。ミケランジェロのピエタ・マリア像の透明感を思い起こしました。
しんく:吉田拓郎が自虐的に「リンゴを切る」などというのは70年代だからこそ出たフレーズだと言っていた。さしずめ掲句はさだまさしとの合作といったところか。
鯨酔:感傷的になり勝ちな母物にあって、本句の爽やかさは買いです。
健一:「透きとおる」というのがちょっと弱いかなと。あまりパンチがないというか、この作者は屈折のない素直な人だなと思いました。でも、とっちゃた。
子子:怖さと、透明感と、優しさが好きです。
あずさ:この手の<透きとおる>俳句はありがち。
つっこみ句会選句評:
凌:人情の機微とか親子の情愛を一つのモチ−フとする川柳では、定番として何度も繰り返されるテ−マだけに、類想、類句は多いのですが、この句の場合はやはり「透きとおる」で、「リンゴ切る」にはじまる具象性が失われ、母への感傷的な憧憬で終わってしまったのではないでしょうか。それと「リンゴ切る」に切実感がない。これが、たとえばリンゴもバナナも簡単に手に入らない時代だったら「リンゴ切る」はもっと迫ってくるのですが、今ではただの日常的な行為でしかない。
またたぶ:ほぼ同感です。感傷的とは思えないけど「透きとおる」という詩情醸成語彙に頼りすぎだと思う。

途中では厠混みあう黄泉の国   凌

特選:満月 安伸 まひる またたぶ 帽子 

健介:サービスエリアでお馴染みのあの光景?
満月:すごい句だ。永田耕衣かと思った。真似ともいえるが、この野太い俗は最近の向上句会のひ弱な句群においてぬきんでている。
またたぶ:いかにも手練れの句。素直に一票差し上げます。「は」に疑問があるんだけどね。
安伸:ブラックユーモア、好みです。
あずさ:<厠混みあう>が、言葉が古いにもかかわらず、いささか現実的過ぎて、<黄泉の国>のイメージと齟齬をきたす。切れとか飛びといったこととはちょっと違っているように思う。
つっこみ句会選句評:
あずさ :これは、満月さんの特選句ですよね。<厠混みあう>これから、というか、今さっき死んで、天国に上っていくあるいは、地獄に降りていく途中で、トイレに行きたくなる。という発想をわたしはそれほど面白いと思えなかったのですが、そこらへんを改めて伺うのは野暮でしょうか?
またたぶ:いいえ、野暮どころか、検証の価値ありとみます。「トイレに行きたくなる」こと自体が面白いんじゃなくて、「死に向かう(向かわされる)」という厳かで逆らい得ず、厳然たる道の途上でたくさんの人?が「用を足す」という卑近そのものな行為をなしていることの落差に哀しいおかしみのようなものが滲み出ているように感じました。地の俗と天上?の聖の落差というと言いすぎでしょうか。他の方のご意見お聞かせください。
安伸 :この句の内容は想像をかきたてられますね。死後の世界というのは、想像力の沃野でもあると思うんです。死んだあとに魂が残り、黄泉の国に行くということを考えると、魂は肉体を離れているわけですよね。だから普通に考えると厠なんかに行く必要はない。でもこの句に述べられているのは、三途の川のほとりかどこかに厠があって、実際に魂たちがそ
こに列をなしている、という光景。魂は死んだことをいまひとつ実感しておらず、尿意をもよおしたりするのだが、実際に厠に入ってみて、はじめて肉体が無いことに気が付く。三途の川のほとりの厠はたましいに「死」を認識させるためにあるのかもしれませんね。
以上は句じたいの評でもなんでもありませんが。
あずさ:なるほど。この読みはいいですね。即興一句。<尿意あり肉体(からだ)ないこと気付きをり   あずさ>
凌:足首を切断した、つまり死んでいるのに足の先が痒いという感覚が残るという。死者もやっぱり消滅した肉体を曳きづりながらさまよっているのでしょうね。この句あまりいいとは思わなかったけど、いい読み手に救われた・・という感じ。たった一人でもいい、いい読み手に巡り会うために私たちは言葉を浪費しているのかも知れません。
あずさ:<俳句という無駄骨を折る嵐かな   あずさ>なんか、即興モード。下手だけど。。。でも、俳句もそうだけど、話言葉でも「わかってくれる」人に出会うと感激するものね。
摂津幸彦句集(現代俳句文庫−22)(←未定の高原さんから貰った^^;)
を読んでいたら、<天の川死につゝ渡る役者かな>というのが出てきました。向上句会、摂津幸彦に負けるな! と、思ったことでした。(←強気発言。)
またたぶ :やはし、攝津は必読ですよね。攝津と張れれば、敵無しと思う私。

トランポリン児消ゆ 夏雲に拉致容疑   鈴木啓造

特選:鉄火 特選:あずさ 吐無 またたぶ 逆選:一郎 

満月:<拉致容疑>で新聞の見出しになってしまった。それはそれで面白い試みだとは思うが、それならそれでもっと冷たくやって欲しかった。
またたぶ:こういう真顔いちびり手法に是非はあるだろうが、この句は好き。「容疑」というとどめ方がいい。
吐無:一字アキが気になるが、夏の雲に拉致されたという比喩が僕には愉しかった。
鉄火:一本筋が通っているのが気持ちいい。「トランポリン児」という語が違和感なく収まっている手腕。
一郎:着眼点は悪くない(ただし類想は多い)。トランポリンは特殊すぎて損なのと、上の句が状況説明になっている。「拉致容疑」はこの句の売りなのだろうけれど、それを表に出さずに読者に感じさせる「夏雲」がほしい。惜しいという意味の逆選です。
あずさ:子どもの頃、トランポリンが好きだった。思う存分飛んでみたいと思いながらもトランポリンの時間はすぐに終わってしまった。けっして得意だったわけではない。トランポリンにはどこか異界へ連れていってくれるような何かがあったように思う。
つっこみ句会選句評:
凌:面白い句だなと思ったけど点は入れなかった。その理由はトランポリンの子どもが夏雲に消えるという設定は情景描写を超えていないと思ったから。だから折角の「拉致容疑」という言葉の斡旋も、手柄であると同時にその言葉だけの空回りで終わっているような印象になった。誰かが書かれていたように、いっそ異界へ突き抜けてゆくような飛躍があってもいい。
薫:凌さん、こんばんは。同感でぇす。発想が素敵なだけに「語るに落ちた」って感じですねっ。トランポリンののほほんとした感じと「拉致容疑」という固い言葉の対比はおもしろいと思います。作者はきっと絢爛な言葉を操る麗しい方でしょう。おじさんだったらやだな。←問題発言。
あずさ:何度かコメントをつけようとしたのですが、なぜか重くてうまくゆかなかった。。考えたらわたしは特選に採っているのですね。トランポリンでポーンと飛んで、夏雲にさらわれてしまいたい。とゆーような感覚をもこの句から受け取ったのです。もっとも句の字義からゆくと、確かにさらわれる子供ではなく、さらわれた子供を見ている誰かになってしまい、また、子供がさらわれたのに、そんな呑気なこと言ってていいのか!とも思えてきます。でも、好きだけど。

5点句

海亀が首を伸ばしてアヴェ・マリア   越智

特選:いしず 鉄火 啓造 あずさ 

健介:“ネバー・エンディング・ストーリー”っぽい雰囲気(?)なのがちょっと好き。
満月:実景として想像したらおかしくて素敵でなみだが出る。「不思議の国のアリス」より「ET」か。
鉄火:ディズニー的な絵を想像してしまいます。やけに表情豊かな亀とか。
啓造:ソプラノ歌手の懸命な歌声は、確かに海がめと通づるものがある。
あずさ:とても気持ちの良さそうな首ののばし方である。

炎天の空のうしろで輪が回る   桜吹雪

凌 斗士 朝比古 鯨酔 安伸 

鯨酔:火焔童子が只管回す輪。炎天で喘ぐ句が多い中で、空の後ろに目を付けた所が面白い。
凌:ウン確かに空のうしろには誰かがいる。何か巨大な影が精一杯手をのばして空をゆっくり回している。
朝比古:類想感は否めないがまあまあ。
安伸:幻想的感覚的で成功してる。「空のうしろ」が上手い。
斗士:「輪が回る」が若干薄味だけど、設定の面白さを買う。
健介:この「炎天の空」という言い回しって、極端にいうと“優駿の馬”とか、はたまた“馬から落馬した”とか“口の中に口内炎ができた”的な印象を受けるパターンですが…。
満月:火事が燃える?
一郎:何か言おうとしているという熱意は感じるのだが、そこまでで止まっている。「輪が回る」のイメージが湧かないのが原因だと思う。

おやすみとおはようを言えるさくらんぼ   越智

満月 斗士 朝比古 桜吹雪 けん太 逆選:凌 

桜吹雪:「を」のかわりに「が」という助詞を持ってきたら、さくらんぼは「おやすみ」と「おはよう」しかしゃべれないということかな。「を」ということは、強調でそれ以外の言葉もしゃべれるということなのかな。そんなところがえらく気になってしまった。しかし、さくらんぼはたいてい2つセットだからおはようとおやすみしかしゃべれないでしょうね。
満月:一見かまとと。でもいいじゃないか。おやすみとおはようを言えることはうつくしい。言われるとこちらもうつくしくなる。この<さくらんぼ>も美しい。たとえ今はやりの言葉を覚えるロボットだとしても。
凌:やさしい句なのか幼稚な句なのかわからない。
朝比古:かわいいです。
けん太:なんとなく可愛い。捉え方がいくつもできる句だけれどこのまんまもらいました。
斗士:そういえば、いつも言ってもらってる。。。「さくらんぼ」が上手い。
あずさ:かわいい。が、これは食えんぞ。
つっこみ句会選句評:
あずさ:向上句会では、批判の対象になりやすいかわいい句でありながら、毒気を含んでいると思うのはわたしだけでしょうか?もしさくらんぼが口を利いたら?これは食べられないだろー。
凌:素人ふうに単純に読めば、おやすみとおはようがやっと言えるようになった、まだあどけない女の子、という設定しか見えないのですが、そんな簡単なこと書くはずはないと、読みを斜にひねって見ると多少の毒を含んでいるようにも見える。しかし、やっぱり風刺も批評も浮かんでこない。
またたぶ:私も凌さんと同感。そのまんまにしか読めない。
斗士 :この句を選んだ者として。。。満月さんが「おやすみとおはようを言えることはうつくしい。言われるとこちらもうつくしくなる。」と書かれていたが、僕もそういったところが、この句の眼目だと思う。「さくらんぼ」は、まさにその「うつくしさ」の象徴としてあるということ。まあ単に「かわいい句」と解釈してもいいのですが。

毒林檎万有引力ごと食べる   小島けいじ

特選:啓造 満月 子子 またたぶ 逆選:あずさ 

満月:大きい。小細工がない。力ある。毒もきっと消化してしまうな、この消化力は。うーん、私もそうでありたい。
またたぶ:「引力ごと食べる」だけでずば抜けていたのに。「毒」という語がついてかえって中和してしまった逆説的な句とみました。結局採ってるけど。
子子:素材の取り上げ方と、句のスケールが好きです。
啓造:よくある手法と思うが、構図のシンプルさとインパクトに特選。
あずさ:白雪姫の義母とニュートンとりんごにまつわるふたつのエピソードを一句に重ねたのだと思うが、このことによって生じる何かが見えてこない。毒林檎にする必要があったのか? というより、<万有引力ごと食べる>だけでも、十分林檎をイメージさせることはできたように思う。

ぼく、バカじゃありません。海   山口あずさ

特選:青 特選:景琳 子子 逆選:桜吹雪 逆選:鯨酔 逆選:啓造 

健介:いや、そうでもないんじゃない。山
桜吹雪:総計17文字だからと言って俳句ではない。この句読点に意味があるのか。口語体というより散文の断片でしかない。
満月:と、言われるとバカな人を想像してしまう私は相当素直なのだろうか。
しんく:わしアホやねん 坂田。大阪には、こんな芸人さんがいらっしゃいます。
景琳:「、」と「。」一本とられた感じで、花丸です。
鯨酔:季語なし、切れなし、五七五でなしは碌で無しとなります。俳句工場勤務から移籍辞令発令されても仕方ないのでは。
青:このはずし方、かなり成功している。でも、なぜ「ぼく、バカです。」とはいえなかったの?
子子:けっこう、タイプなんです、こういう句。
啓造:本当は、並選に入れようと思いましたが、やっぱり思いなおしてわざとらしさに逆選。
つっこみ句会選句評:
あずさ:移籍辞令発令の対象なのか、それとも特選の価値があるのか?いったいこれは何でしょうか?海というものをとても卑小なものとして扱っている珍句、ですよね?
斗士:僕が思うに、この句、海に向かって「バカヤロー!」と叫ぶ人たちに対しての海からの一言、という狙いじゃないだろうか。
またたぶ:工場長の読みに脱帽。それで納得いきました。それしかない。
あずさ:それにしても、山とか川に向かってはなんで言わないのだろー。ばかやろーと海だけが、なんでペアなんだ?山に向かって言うと、やまびこが返ってきてしまうので、ストレスが発散されないのかな?それとも、山に向かって「バカヤロー」という自虐行為が好きな人がいたりして。
一郎 :投句基準には、「有季・無季 定型・非定型 伝統・アンチ伝統」とあります。季語なし、切れ(この言葉の意味は私には分かりませんが)なし、575でなしでも、ろくでなしではありません。いろんな試みをしていけばいいと思いますよ。
あずさ :鯨酔さんがここを見てくれているかどうかわかりませんが、これで辞令を発令されたら、わたし(←^^!)が飛ばされることになるので、向上句会がなくなります^^;。勝手にくびにしないでくれぇ。
満月:みなさま、バテ中の満月です。なんとかやってまいりました。本日はこれ。私は海というとどうしても宇宙的、地球的な性格を思うか、又は仏教的な喩を思うかどちらかです。で、海には絶大な自浄能力があり包容力があると思っている。その海がこんなこと言ったら
私としてはかなりがっかりする。これは人間の浅知恵だなあと逆にそこが目立ってしまって、
アイデア自体も含めて「ちいせえなああ」と。。。海の発言とは信じたくない。。。。が、句読点は一応成功していると思います。発言部分を「」でくくる方がよかったか?発言者
名が海でなく、自分のことと勘違いした砂のひとつぶだったりしたら面白かったかも。
(鯨酔:季語なし、切れなし、五七五でなしは碌で無しとなります。俳句工>場勤務から移籍辞令発令されても仕方ないのでは。 )
この発言は問題ありと思います。俳句というものの歴史や拡がり、そして山本さんもご指摘の向上句会の投句基準を考えるとこういう言葉は出て来ようがないのでは。ご自身の作句・選句基準として認めないとおっしゃるのならかまわないのですが、この句がたまたま気に入らなくてその三つがないという理由で「碌で無し」「俳句工場勤務から移籍辞令・・」云々は向上句会の自由性自体を否定しようとする発言のように受け取れてしまいます。いろいろな作句上の冒険をする中で、玉石混淆さまざまに生まれてくるのが自然では?ここは向上句会。冒険句会、実験句会と言い換えてもあまりはずれてはいないのではと思います。い切り破ることの重要性をこそ、向上精神として評価したいと私は思うのですが。逆に言えば、こういう句が出てくることを封じることは、「向上しない句会」への最短距離だとも思います。

4点句

海坊主眠れぬままの立ち泳ぎ   足立隆

特選:鯨酔 健介 またたぶ 

健介:この何とも言いようのない可笑みはかなりイケてる。
またたぶ:「眠れないから立ち泳ぎしている」という理屈臭をふっとばした。「海坊主」だけのことはある。
鯨酔:「おーい、お茶」なら特選・賞金獲得でしょうか。滑稽かつ哀歓味のある作品。

いなびかり俺に似た鰐飼えば良い   杉山薫

帽子 知昭 子子 桜吹雪 

健介:こういうことを言う人って「何ぁに考えてるんだか」って思えてきちゃうんです。
桜吹雪:意外性のある言葉のつながりに口語体がよく生きている。俺によく似た鰐を風呂場に飼いたくなる句だ。
子子:あっ、この鰐、是非とも飼いたいのですが、当事者さんじゃないと飼えないんですよね。
あずさ:そもそも鰐に似てる俺だったりして。

海遠し背中上げ下げする蛙   またたぶ

特選:健一 安伸 しんく 

満月:昔話の「京の蛙と大阪(難波)の蛙」を思い出す。鳥獣戯画的でなかなかリアリティがある。蛙の臭いがしてくる(^^;
しんく:「井の中の蛙大海を知らず」を想い起こさせオリジナルに乏しいと思ったが句の形としては好きです。
健一:おもしろいと思いました。こういう句、好きです。
安伸:海を強引にもってきたところがいい。

留守宅に牡丹のおいしい水がある   中村安伸

特選:けん太 薫 まひる 

健介:この句については全く意味が解りませんでした。
薫:なんで留守宅なの知ってるの?牡丹の水って、聞いたことないぞ。おいしいってことは飲んだのだな?限りなく怪しい。が、飲んでみたい。その水。
けん太:「牡丹のおいしい水」に惹かれました。一度、飲んでみたい。ふくよかな感じかな。でも、「留守宅」とのつながりがうまくイメージできませんでした。少し独り合点かな。
あずさ:漱石の「それから」に牡丹が生けてある水盤からコップで水をすくって飲むというシーンがあったように思う。あ、待てよ、あれは椿だったか?
3点句

風鈴草とらえそこねし言葉尻   摩砂青

吐無 健介 けん太 

健介:「とらえそこねし言葉尻」というフレーズから私が想起する情況に於いては、その心理状態の重苦しさに強く感じ入るので、私なら「風鈴草」は付けないのではないかと思う。でも、それはそれとして…。「風鈴草」が似つかわしくない感じがするという訳ではないですし、とにかく私にとっては非常に感情移入してしまう内容を持った句です。
満月:中七下五の日常のつぶやきをそのまま書いた部分と<風鈴草>のイメージがなんとも合わない。ここはかなり迫力のあるものを持ってこないと効かないのでは?
またたぶ:「言葉尻をとらえる云々」は投句欄でよく見かけます。 
けん太:やや理屈が勝っているとはおもうのだけれど、風鈴草はこんなイメージ?だろう。

はんぶんは遊びのつもり藍浴衣   朱夏

特選:知昭 越智 

健介:「遊びのつもり」という意味内容の主体が曖昧であると言えなくもない。そのへんのところに読み手として少々不満が残る感じ。
越智:はんぶん本気なんですね。でも、ほんとは全部本気なんですね。藍浴衣がいいですね。
あずさ:浴衣を着る機会があまりないので、旅館などで浴衣を羽織ると遊びっぽい印象を受ける。が、しかし、あまり大した発見ではない。

弛緩する金魚の海に監視員   杉山薫

特選:朱夏 鯨酔 

朱夏:昨今の海辺のスケッチと作者の想いが 監視員の語句に象徴されててすぱっとわかりやすい句。
満月:ううむ、たれぱんだも監視員だったのか。。コワイ時代だ。
鯨酔:さぞかし酸欠の海でしょうね。実は監視員の気が一番緩んでいたりして。

海の家声のおほきくなつてをり   朝比古

特選:健介 けいじ 

健介:実にどうってことのない事柄を言ったに過ぎない。だからこそ虚をつかれる様な感じでまんまと惹き込まれてしまったのだと思う。自分もそういうキュラだしね……。讃。
けいじ:夏の情景が鮮明に浮かぶ。

浮上セル軍艦無数夏ノ海   桜吹雪

凌 隆 まひる 

隆:アナクロだけど、こういうのは好きです。
健介:「浮上セル」というと潜水艦を連想しがちかと思う。そうでないとすると沈没した軍艦の引き揚げだろうか?とも。そのあたりがよく分からないです。
凌:カタカナの緊迫感が何やら最近の日本の右傾化の象徴のように見えるけど、この句をもって日の丸君が代軍国主義などと騒がないで欲しい。なにしろこれは玩具の軍艦なんだから。

おにぎりの海苔しつとり派雲の峰   白井健介

薫 しんく あずさ 逆選:鉄火 

満月:個人的にはしっとりした海苔は「けっ」という感じなのだけど(^^;今回けっこう持って回って失敗した句が多かった印象があるので、すぽんとまっすぐな表現にほっとする。<雲の峰>が効いている。
鉄火:「海苔しつとり派」にびっくり。それでわからせてしまうところがすごい。
しんく:派がちょっと気になるが、雲の峰がよく効いているんじゃないでしょうか。
薫:正統派の明るい句風には好感。よく考えると海苔の黒と雲の白。確信犯か?
あずさ:母のおにぎりというのはなぜ美味しいのだろう。コンビニのパリっとした海苔のおにぎりとは別の食べ物のような気がする。そういえば(句とは関係ないが)、機内食でおにぎりが出たことがあった。ほかのものがひじょーにまずかったので、JALおにぎりがとても美味しく感じられた。機内食など廃止して、サンドイッチorおにぎりだけにしてしまえばいいのに。(全く句とは関係ないですね。。。)

をんなには自問自答の海なのさ   朱夏

薫  けいじ にゃんまげ 逆選:斗士 逆選:越智 

健介:こういうクサイ言い回しをする以上はもっとクサイ内容を言ってくれた方が……
満月:この伝法な啖呵が気に入った。次点。<を>は「ぅお」と正確に発音してもらいたい。映画「花と龍」だね。よっ、倍賞美津子!
またたぶ:そんな八代亜紀入れなくても…… 「自問自問の海」はなかなかいいのに
にゃんまげ:をんなと海・・・ちょっと演歌っぽいけど、マッチしていたので。
越智:かっこいいけど、俳句の雰囲気じゃない気がして、不思議だから逆選にしました。
薫:海には呟きが似合う。螺焼きも。をんなには自己完結が似合う。ん?セクハラ発言だったらごめんなさい。
けいじ:”なのさ”という終わり方に参りました。
斗士:「をんな」の限定がピンとこなかった。「自問自答」も当たり前のように思える。
あずさ:をとこには自暴自棄の海? 自画自賛の海なんてのもあったりして。いずれにせよ、自自公とわたしは無関係よ。
2点句

遠浅の海に腕組む晩夏かな   鯨酔

隆 健介 

隆:もうあの夏の日には帰れない。センチメンタルな人。
健介:こういう風な<“らしさ”をそのものずばり>という感じの<(時には全くという程に)“ひねり”のない句>について、そのすべてを否定すべきではないと思います。この句には、“味わうべき情趣”があると私は思うし、こういう句もあっていいはずです。

海が近づくか水着で近づく俺か   田島 健一

秋 景琳 

健介:“できたて飲むか藤原紀香”にちょっと似てる? やっぱ似てない? それに比べるとちょっと劣るのか?(それにしてもやっぱ“偽物”は水飛沫がショボい…)
秋:自意識というものを詠んだ句だと思うのですが、堂々としっかりした自意識に賞賛をしたいと思います。
景琳:海の恋しさを「異常」してるのが面白い。
あずさ:マホメットが山を動かすなんてのを昔国語の教科書で読んだけれども、近頃の宗教は。。。って、別に宗教の話じゃないか。

冷房の空元気なり目玉焼き   白井健介

桜吹雪 景琳 

桜吹雪:冷房のモーターの回転音と、目玉焼きのジュワ−と焼ける音との取り合わせの句なのかな。ともに空元気つながりというところ。
満月:<空>は天の空でしょうか、「からげんき」でしょうか。
景琳:暑い夏が目玉焼きによく似合う。

りばいばる身体に海を感じたら   まひる

特選:斗士 逆選:薫 

斗士:なにかの復活・再生というのは、まさにそうしたものと思えてくる。力強さの中に、ほのかな哀感を漂わせていて秀逸。
満月:まんま、中島みゆき。
またたぶ:「彼女が水着に着替えたら」というのがありましたねえ。一般受けはするかもな。
薫:採りたくない。だけど、魅かれる。ラテン系の美人。好きなタイプじゃないんだけど、気になる。大きな声では言えない趣味のように。よって、愛の逆選。

水盤に子猫を生ける夏休み   山口あずさ

特選:吐無 逆選:子子 

吐無:今回のなかでは、まともにおもしろかった。普通は子猫を水盤に活けたりしないが、夏休みだから変わったことをしてみたくなる。流派は何だろう。猫は早く夏休みが終わらないかなあ、と思っている。
健介:この手の趣味にはちょっと付いて行けないです。
満月:<わがままな猫も生けよう剣山ぴっかぴか>昔の昔の自作。おそまつ。
子子:子猫が可哀想というのと、女でありながら、女性の生理的なところにかなりヨワイのです。

1点句

二の腕も気にせず百足デートあり   城名景琳

いしず 

あずさ:最近二の腕が気になる。それはさておき、百足デートとはいかなるデートなのだろう。

大都会の片隅のよう海女の浜   秋

景琳 

景琳:まさに渋谷・海水浴場すがたのギャル出没。

夏料理海よりの使者来たりけり   しんく

知昭 

またたぶ:料理の素材=「海よりの使者」という浅い読みが先行してしまう。

太陽と番った海に捨てた恋   子子

知昭 

満月:<海に捨てた恋>が<太陽と番った>のか、(あるひとと)<番った海>にその事実を捨てたのか(太陽と恋を照らし合わせる=かなり無理な解釈?)、登場人物が<太陽と番った>ことで<恋>を<海に捨てた>のか。切れどころがはっきりしないために焦点の結びようがない。
またたぶ:裕次郎追悼句? 
あずさ:また見つかった、何が、永遠が、海と溶け合う太陽が。−−ランボー「地獄の季節」(小林秀雄訳)だわな。

空静か銀座あたりへ稲妻が   田島 健一

けいじ 

満月:<空静か>でつまんなくなっている。状況説明を全部すると飛躍する場がのこらない。
けいじ:これはきっと銀座だから成立する句。この銀座が渋谷だったりしたらおもしろくもなんともない。もっとも、年代によっては銀座に対するイメージをはっきり持っている人もいるでしょうし、そういう人から見るとどうなんでしょうか。

暗くしてやる海が声を出す   凌

鉄火 

満月:なんかえっちな想像しか出てこなかった。
またたぶ:いいのか、よくないのか判断のつけかねる句は少なくないが、今回この判断に一番時間をとられた。「いろいろな解釈を許すことがプラスに働いている」とひいきするまでに至らなかった。
鉄火:「暗くしてやる」の「やる」が非凡だと思います。
あずさ:何を暗くするのだろう? 部屋の電気だったらつまんない。

胸当てを外してみたき夏の海   吐無

鯨酔 

満月:<みたき>と切れてないところを見ると、どうやら<夏の海>が<胸当て>をはずしたがっているらしい。
鯨酔:透明度の高い海。眩しい太陽。人気のない沖合い200mともなれば外すしかないよね。でも、立ち泳ぎの海坊主にはご注意下さい!

母方のニ従姉妹なり海紅豆   鯨酔

吐無 

満月:いかにも俳句的。海紅豆も効いている。が、既成の俳句的納得範囲に安住しているような。
つっこみ句会選句評:
あずさ:母方と父方では従姉妹は違いますか?(※どうちがうのかという議論を期待したが、ここにはレスがつかなかった。)

海底の梶の泣く日の花あざみ   山本一郎

いしず 

満月:<梶>は海底なら船の<舵>?だとすると<海底の梶(舵)>とするとまた「つきすぎ」とやられそうだ。海底に、だったら好きな句になる。
一郎: 「梶」は「舵」の方がよい。「泣く」と「あざみ」はもろに重なっている。したがって「花あざみ」は無意味。

月星の腥(なまぐさ)き世のあめふらし   千野帽子

啓造 

啓造:観念臭が気になったが、スケールの大きな句柄に一票。

水貝を噛めばスタジオ・ジブリかな   まひる

斗士 

健介:何で?どうして?って感じがしちゃうけど…
満月:いろいろ考えたが、結局音感だけという気がする。
斗士:可愛かったり、無気味だったり、夢いっぱいだったり、説教臭かったり。「水貝を噛めば」が、「スタジオ・ジブリ」作品群の複雑な様相を浮き彫りにしている。

角力の携帯電話のヴァイブレーション   足立隆

あずさ 

あずさ:角力ほどその姿態からスポーツを想像しにくいスポーツマンもいないだろう。彼らの肉体は筋肉の固まりのはずなのに、なぜか我々は彼らは脂肪の塊だと思いこんでいるようなところがある。このヴァイブレーションの震えは硬質なものに違いない。これは発見である。

ふるえればふえてゆくばかり花空木   摩砂青

秋 

満月:タイプミス?あまりにもリズムが悪すぎるので。
秋:女性の一時保護施設に入所している人に、人の周りに花が一杯あふれた絵を描く人がいます。悲しい事があると絵を描いています。そんなことをふと哀しく思い出しました。
あずさ:細胞分裂。

たらちねのマングローブの夏あくび   子子

鉄火 

健介:擬人法にしてもあまりに無謀という印象で、私には理解不能に近い。「夏あくび」というのもいかがなものか?
満月:<夏あくび>はいくらなんでも無理。
鉄火:句自体があくびをしているところが良い。

弱虫の出会い頭に蛍かな   松山けん太

健介 

健介:“肝だめし”の光景が浮かびました。見栄もありますし「弱虫」には辛い情況です。“弱虫に出会い頭の蛍かな”とするのとどちらが宜いでしょうかねぇ?
満月:蛍が弱い虫だってハナシ?

この密度は日比谷公園の炎昼か   鉄火

斗士 

斗士:「密度」が味わい深い。「日比谷公園の炎昼」というのもニクい設定。
あずさ:あそこの炎昼は濃いよ。

盛岡や君亡きあとの青嵐   林かんこ

けいじ 

満月:<盛岡>では切れない。切るなら<青嵐>でしょう。
けいじ:「盛岡とは?」というミステリーというか、考える感じが好き。

夏の海こわるる波や砂糖菓子   城名景琳

啓造 逆選:帽子 

またたぶ:「砂糖菓子」で見事にオチてますね。
啓造:壊れる波に砂糖菓子を連想したところが秀逸。
あずさ:波も砂糖菓子も白い上に壊れやすい。安易な連想のように思う。
つっこみ句会選句評:
景琳: 砂糖菓子は恋じゃ〜〜〜〜〜〜。ん?みたまんまじゃないのうお。ひと夏の恋が砂糖菓子にかぶってるんじゃのお。(^^)/
薫 :これ、いわゆる「三段切れ」というやつではないのでしょうか?(自信ないけど)

雷鳥やくりかえし見る時刻表   吐無

朝比古 逆選:安伸 

朝比古:雷鳥の斡旋が意外。中七、下五は普通。
安伸:雷鳥って特急の名前だっけ?
満月:特急?「雷鳥」に乗って帰省かレジャー?
またたぶ:「雷鳥」に「時刻表」ではただごと句へいってしまうでしょう。

うみがめのたまご たこやき ぴんぽんだま   鈴木啓造

青 逆選:景琳 

健介:確かに「ぴんぽんだま」とよく似ている感じ。「たこやき」には似てないと思うが…。
満月:ただ丸いものを揃えただけ。ぴんぽんだまだけ食べられないなあ。。
景琳:たこ焼きは、ピンポン玉サイズだった。
あずさ:小さくて丸いもの三題話。

七月やDNA親子鑑定18万   いしず

景琳 逆選:知昭 逆選:けいじ 

健介:「18万(円)」なんですか? だとしたら私などはまず経済的理由で躊躇しちゃいますねぇ…でもそんなこと言ってる場合じゃないんだよね。
満月:<七月や>の必要性がさっぱりわからない。
景琳:18万が高いのか安いのか、気をひかれた。
けいじ:七月やにあまりに意味がなさすぎると思います。内容も好きでなければ中途半端な字余りも嫌。
あずさ:鳥の雛を調べてみると、必ずしも世話をしている雄の遺伝子を引き継いでいるわけではないらしい。人間もあまり堅いこと言わない方がいいのかも。知らなくっていいことだってあるのさ。(←問題発言?)

その他の句

坂道を飲み込む青に走りだす   にゃんまげ

またたぶ: 海を抽象化しただけ?ならストレート叙情すぎて私には響かない。
一郎:並選にしようかと迷った句。この不安感、イメージとしては好きである。なぜ採らなかったかというと、なんだか露骨な感じがして。

東京という奈落に肉(しし)ラッピング   いしず

あずさ:序でにチンもしたりして。(←バラバラ殺人の上をゆく。)

えんとつや梅雨の晴れ間の縛り首   岡村知昭

あずさ:<えんとつ>も<梅雨>も<縛り首>もグレーがかったイメージ。<えんとつ>が何か違うものだったらあるいはよかったかもしれない。

一撃の雨や野望は海へ発つ   小島けいじ

またたぶ:「野望は海へ発つ」で十分ポイント高いものに、「一撃の雨」なんて強いものをぶつけて、一句の中に山が二つできてしまった。私なら上五をトーンダウンする。

長梅雨に黴びて我が身の篭りかな   さいだしげる

またたぶ:すべてが「梅雨」の予定調和を出ていない。何かあなただけの新味を!

海猫(ごめ)たちもつられて舞うや夏神楽   林かんこ

あずさ:つられなくても舞っているような気がする。。。

海蛍レクイエムが聴こえないか   秋

満月:「レクイエムがきこえる」というのは相当手垢の付いた定番的表現なので、安易な終戦記念日ものと感じてしまう。
またたぶ:この句の弱点は破調では断じてない。気障が上滑りしていて惜しい。
あずさ:海蛍でもし本当にレクイエムが聞こえたら、かなりこわい。

水の香を得てなお杳(とお)し夏化粧   満月

満月:<杳>は辞書を引くと「よう」又は「はるか」としか読まない。さるところでこの読みを見かけたことがあるが、慣習の範囲だったようだ。

梅雨明けのローザ・パークス座りけり   しんく

あずさ:一体どこに座ったのでしょうか?

夏草や屋号重たき廃れ家   さいだしげる

満月:<廃れ家>は「すたれいえ」と読むの???
あずさ:屋号が重すぎたのね。

見に行かん痰を吐くのによい小川   岡村知昭

逆選:隆 逆選:朝比古 逆選:健介 

隆:「痰を吐く」はどう読んでもきたならしい。それが作者の狙いなら云うべきことはない。
健介:私が逆先にする句の中で“愛情のかけらも皆無”という無下なる句のうちの一つ。
朝比古:御勝手にどうぞ。
あずさ:見たくない。