第21回 青山俳句工場向上句会選句結果

(長文注意!)

喧喧諤諤向上句会。あまりのフィーバーぶりに、つっこみ掲示板からコメントが溢れてしまい、一部失ってしまいました。(発言者の方、ほんとうにごめんなさい。)
つっこみ掲示板の設定を修正しましたので、今後はだいじょうぶかと存じます。
四月も半ばを過ぎてしまいましたが、第21回、1月25日投句締め切り分、工場長題「雪」、完全バージョンです。向上句会の雪をお楽しみください。

向上句会とりまとめ:山口あずさ


投句:宮崎斗士、千野 帽子、中村安伸、白井健介、後藤一之、満月、凌、いしず、林かんこ、桜吹雪、谷、明虫、またたぶ、miwa、にゃんまげ、杉山薫、いちたろう、小島けいじ、けん太、城名景琳、摩砂青、足立隆、朝比古、すやきん、秀人、室田洋子、夜来香、志摩輝、ぴえた、柚月まな、あかりや、神山姫余、田中亜美、二合半、来夏、山口あずさ


全体的な感想

来夏:はじめまして。今回が初投句です。過去の作品をいくつか見せていただきましたが、かなり厳しい世界のようですね。負けないようにがんばりたいと思います。全体的には、今ひとつピンときませんでした。私の句も並べられると平凡でした。とりあえずこれからも宜しくお願いいたします。
けいじ:どういうわけだか、ここではたまに句の傾向が“かぶる”事がある。やけに難解なものが多い時や、その逆や。今回は、何がこうさせたのだろう。“雪”だろうか?わからん。まあ、かく言いつつ私も“傾向”に加担してしまっている気がする。自分ではある程度そういう意味でのくだらなさを外したつもりだったが、他の句と混ざるとようわからん。これは反省すべき、なのだろう。
秀人:いいのはたくさんあるのですが、選ぼうとするといまいちという感じがしました。いいたいことは分かるのだが、もうちょっと、という感じです。関東地区は今年はあまり雪も降っていないので、実感が湧かなかったということもあるでしょう。
けん太:今回思ったのは写生派が増えたなということ。それが悪いというのではなくて、どれだけ新しい世界を切りひらいてくれるかだと思うのです。もうひとつ、物語派と言葉派がいて、しのぎを削っている感もしました。いろんな見方ができてこの句会、今年もがんばります。
二号半:今回が初めての投句&選句でした。句を作るのはもちろん難しいのですが、あらためて選句の難しさも感じました。その昔恩師に、「句作もさることながら、選句眼を磨くことが大切だ」と言われたのを思い出しました。身にしみます。これからも参加させて頂きます。どうぞよろしく。
桜吹雪:今回はおもしろい句があまりなかった。自分自身のこの句会の参加の仕方を含め反省。
すやきん:ゴロが良くリズム感のある俳句が私は好きです。内容は良くても調子の悪い句は内容が良くっても、も一つですね。
またたぶ:みなさぁぁん(込み自分)、「雪句で叙情」は名人芸なんだから、顔洗って出直しましょうよ。
景琳:今回、驚いて寒くなってしまった句を選びました。(このところ、レベルあがってきたね)もっと、狂ったほどの驚異がほしかった。(次回期待)
:全体として意味不明の句が多かったように思います。紋切り型からの脱却勿論結構ですが、独善はいけないと思います。選んだ句は、そんな関係で、おとなしい新味のない句ばかりになったような気もします。難しいもんですね。
帽子:自分が不調なだけに、今回の全体的な低調感がよけい身に染みます。戦後民主主義教育の結果としての衆愚的反知性主義に、この句会も乗っ取られてしまうのでしょうか。なにをいっているのだオレは。
朝比古:最近、自らの作句に往き詰まっているせいか、特選句が選べない。
:今回は自分もかなり手抜きの句を出してしまって発言しにくいが、「雪」から得るイメ−ジの、もっとも書きやすい、気持ちのいい情緒に溺れた句がおおかった。
いちたろう:やっぱり青山俳句工場ってすてきです。
:「雪」のお題に「雪隠」が2句。この辺り、この句会の真骨頂ではと思っています。さらなる飛躍、ワクワク感を期待します。
洋子:題が「雪」と言う事でロマンティックな思い入れのある句が多かったと思います。
まな:「雪」にはあまり実感がありません。雪国で苦労している方には申し訳ないのですが、私にとって雪はやはり「憧れ」。子供も大きくなってきたので、そろそろスキーに行きたいなぁと思う日々です。ところで今回は忙しかったのとちょっと元気がなかったので、コメント、特選しか書いていません、ごめんなさい。
:ここの所スリリングな出会いがない。向上句会はマンネリ化なのだろう。自分も含めて。先日、まだ参加していなかった第一回をHPでのぞいてみた。そちらの方が新鮮であった。
健介:今回の作品は酷く低調だ、という噂が飛び交うなか、私は一人勝手にかなりヤバイ状況に陥っております。大慌てでコメントしたので雑になってしまい申し訳ない。溜まった原稿よりこの選評を優先させたことは内緒にしてください。あぁ〜やべぇ〜連載に穴が……
満月:参加者が増えるとこういうことになる、という見本のような選句リスト。あまりの作句意識の低さ、読んでいただいてなんぼ意識の低さに呆気にとられてしまった。一番目に付くのは、文章の途中のようで一句が一句としての完結性を持っていない句。言い換えると素材のメモ。読者に読んで貰う「作品」として完結しているということは「芸」である俳句(文「芸」)において基本中の基本。読んで貰うことを計算に入れていないメモを作品と勘違いされては、読む方はたいへん辛い。次に、「何が何して何とやら」型の句が多いのも今回の特徴だった。俳句は記録でも説明文でもないということを、まず有名な句をたくさん読んで体で実感してみてほしい。幼児的な句も目に付いた。「俳」とは見えるものをなんでもそのまま素直に書くというのとは根本的に違うだろう。大人としての作者が、日常の現実の側からは見えない非日常、異界をいかに見出し、言葉で構築するか。あるいはまた、言葉を組み立てることによって全く気付かなかった新しい非日常空間を造形するか。企てであり造形である。その造形意識、創作意識がほぼ皆無か大変低い句がよくもここまで揃ったとヘンに感心してしまう。「俳」とはまた、ある意味で「この世を思い切る」ということでもあろう。現実や日常の論理に恋々としていて、やすやすと一句を成せるものでは断じてない、と私などは思うのだが。世を捨て、異形となり果てる覚悟からしか一句は立ち顕れてこないように思う。これではつっこんだところで暖簾に腕押しだろう。まずスタート地点に立っていないのだから。青俳もついに終わりか。いやいや、自戒をこめて。遊ぶなら本気で遊ぼうよ。※書きたくない蛇足=感想はあくまで私満月個人の好みに基づいて書いたもので、これが俳句の基準というわけではありません。また、批評的言説も多いですが、おのおのその一句に向けて書いたもので、作者自身を云々するものではありません。

10点句

雪降ればくちびる少しずつひらく   凌

特選:満月 特選:あかりや 秀人 一之 にゃんまげ かんこ 来夏 二合半 

満月:おお、このくちびるはこれから一体何を語ろうと言うのだろうか。とてつもない大きな物語が始まるのか、あるいは雪を呑もうとするのか、氷の口づけを求めようとしてか。書かない部分に自在な想像の余地が与えられている、読者にとって嬉しい句。含みもエロスも新鮮さもあり、べたつきからも切れている。
来夏:くせがなく、無邪気。それだけですけど。
秀人:「降れば」が甘いかもしれないのですが、唇が開いてくれば甘いムードになるのも当然のこと。白い吐息が見えそうです。
二合半:「少しずつひら」き、最後はパクッとね。
かんこ:空を仰いで雪の匂いを思わず口をあけて嗅いでいる、という句なのか。それとも、それまで黙り込んでいた二人が、降り出した雪をみて、こころが解けて少しずつ話し出したという句なのでしょうか。
にゃんまげ:無邪気な雰囲気が好きです
あかりや:人には<雪欲>というものがあるらしい。
帽子:雰囲気は嫌いではないが、ただの思わせぶりとも思われるので採れませんでした。
つっこみ!
ぴえたくん:作品のムードや色っぽさにはひかれますし、選句結果で選ばれている皆さんの意見ももっともだ、と思いますが、わたしの個人的な理由ですが「○○が○○すれば」と言うカタチが苦手だったことと、小さい頃「口を閉じなさい!」と躾られたことが思い出されて選びませんでした。可愛いロマンティックな印象(だからわたしは好きなのですが)だったから、どちらかと言えば逆選に選ばれる人もあるのかなあ、と思っていましたから、選句結果を拝見してすこし不思議な気がしましたので、書いてしまいました。
またたぶ:確かに設定はおセンチ…ですよね。私も避けてしまいました。ただ、おセンチ句が全部つまらんというわけでもなくて、「くちびる少しずつひらく」と物語性を出したのがポイントかなあ。ひらがな書きが効いているかもしれません。当り前の状況を表している時は「〜ば〜」はつまらないと思います。でも、因果関係の希薄な状況を敢えて「〜ば〜」とやると、そこに何かはっとするものが生まれることがあるのではないでしょうか。この句の「ば」は微妙ですが、これはこれでいいと思う。
ぴえたくん:わたしは降雪を見ることが稀な土地に生きているせいか、雪が降ると大勢でいれば大騒ぎ、ひとりでいればぽわんと口をひらいて見入ってしまうのが普通なので、「くちびる少しずつひらく」の物語性がわたしの場合、初句にかき消されてしまったのだと思います。残念。
くちびるの「びる」こころの「ろ」わたしは平仮名で書くと震えが伝わるようで好きです。ひらくの「ら」にも震えが生まれていると思うので、平仮名表記が生きているとわたしも思います。
(満月:実は雪降ればくちびるすこしずつひらくも、同じように知を捨てた印象があった。・・・こういうものに惹かれてしまうのは、私がそういうものを欲している状態ということなのでしょう。)
わたしが選べなかった理由は正にその逆、しょっちゅう知を捨てている自分を指摘されたような気分になってしまったから。満月さんの特選のご意見を選句結果の評よりも深く伺う事ができて、初めて、自分がロマンチックな風情にひかれながらも選べなかった理由が判明しましたから、うれしゅうございました。自分の意識ながら深層まではなかなか掴めないものですね。「いもうとが」の作品には知を捨てた印象は感じなかったのですが、合わせてご説明ありがとうございました。

9点句

吹雪く夜の驢馬を思えり驢馬熱し   満月

特選:明虫 特選:安伸 洋子 斗士 桜吹雪 亜美 またたぶ 

明虫:自分がその頃、驢馬であったのか。弱く虐げられた驢馬は人間そのものなのでしょうが、この驢馬は吹雪のなか、身体の熱を発散させ、立ち向かっている。小さな身体を脅威に曝しながら、意志と情熱をもって。
桜吹雪:情景はよく浮かぶ。驢馬熱しのフレーズがいい。
またたぶ:「思えり」までは美しい。それだけに下五があまりに予想通りの着地で残念。
亜美:リフレインに真摯さを感じる。
洋子:驢馬ってせつなくて暖かい感じ。
斗士:「驢馬」効いていると思う。
帽子:下五がかなり好き。それだけに「思えり」の形が残念。
つっこみ!
あずさ:わたしは採らなかったのですが、採り損なったかなと、今思っています。童話のワンシーンのようです。雪の中にいる生き物の熱さを皮膚感覚として伝えてくれるような気がしてきました。
満月:<思えり>が「思へり」だったらよかった。チノボーさんはこの<思えり>の形が残念と書いてるけど、どういう風に?またたぶさんは下五が予想通りということだけど、この部分を引き出すための上五中七とも思えるんですが。
帽子:思うという動詞に「り」がついて収まりがよくない感じがしたんです。意味というより語感が。文語体だから旧カナだったらもっとよかったかな、というのもありますけど。「思ひぬ」あるいは「思へば」のほうが好き。
満月:「思ひぬ」はいいな。「思へば」だとちょっと句意がちがってきそう。
またたぶ:なんか、毎度「高点句のあらをつつく」役回りになっててつらいです(笑)。認められてない良い句を発掘するのは意義深いに決まってますが、逆は単なるひがみか嫌がらせに見えなくもないよーな←特に成績のふるわない時にやるとなー
採った人はリフレインが効いてると思ったんでしょうねえ。私には「…思いました、あ、驢馬が熱くなってます」みたいな、シナリオのあるやらせ番組に通じるような(そこまでいうことはないか)くどさというか、演出の意図を後ろに見てしまいました。
大体「吹雪く」「風花」「雪霏々と」なんて「さあ、ドラマですよご注目!」てな含意を連れ歩きがちなので、それを振り切ることは容易ではない。その点この句は何とかクリアしててさほど悪くないと思ってます。

雪だるま右目も落ちてしまひけり   後藤一之

特選:二合半 満月 健介 安伸 亜美 まな けいじ あずさ 

満月:「俳」ですね。今回のようにあんまりな句が並ぶと、この何でもないかもしれない「俳味」とやらに一票投じたくなる。右目も落ちて、、そして何も見えなくなった。。いえいえ、そして何もかもが見えはじめる。
けいじ:その目が見ていたものに興味を持った。
二合半:雪が降り積もり、喜び作った雪だるま。しかし程なく放って置かれ、見る影もなくなっていく。祭りの後的な余韻が好きでした。
亜美:幼年時代のかなしみを感じさせる佳句
帽子:シンプルで捨てがたいが、類想感あり。
健介:いくら“ただごと”に近い事柄でも、その瞬間にそれを“ただごと”とは感じなかった作り手の自由も、また読み手が勝手に“ただごと”には感じないという自由だって本当はあっていい、と思う。
あずさ:小さい頃大切にしていたぬいぐるみのペクは右目が落ちてしまい、その目のところにビニール風船をまるめて付けていた。それでもわたしはぺくちゃんを愛していたのである。

脳のやや弱いところに水揺れる   凌

特選:来夏 帽子 谷 桜吹雪 亜美 まな にゃんまげ けいじ 

来夏:そうかも。確かに、私の頭には水がたまっているようです。
谷:「やや弱いところ」とは説明的で臆病な書き方です。「闇の夜の初雪らしや盆の窪 一茶」こういう句があります。盆の窪とは首の後ろの窪んだ所だそうです。こういう繊細で強い作品を知っていますと、この作品じゃ満足できない。
桜吹雪:スーパーのパック豆腐を連想。薄暗さの中で揺れている脳はリアリティがある。
帽子:雰囲気はわかる。『ブラックジャック』に水頭症というのが出てきたけど、関係ないよね。
亜美:実感がある。
にゃんまげ:灰色の脳みそに寒さが響くかんじ
満月:なんだかこの脳は全部弱いみたい。
またたぶ:「やや」の多用が気になる。「脳の弱い」も現実的な意味が先行してしまって……惜しかった。
つっこみ!
あずさ:満月さんが、「この脳は全部弱いみたい」と書かれていますが、わたしも同感です。<脳のやや弱い>の<やや>につまらないプライドを感じてしまう。すっかりアホやねん。と認めたくない「あなた」が透けて見える。「え、<やや弱い>んですか? <やや>なんですか?」とつっこみたくなってしまう自分が押さえ難かったです。十分に脳が弱いような気がしてしまうのは、わたしだけでしょうか?
帽子:あー。そうなのか。そうは取りませんでした。だって「やや弱い」のは「脳」ではなくて「ところ」だと思ったので。人間の脳には1.強いところ2.やや弱いところ3.かなり弱いところなどがあって、たまたまそのとき、2.に水が揺れていた、と。だから、他人と比べてその人の脳自体がやや弱いかとか、そんなことを言っているのではないですよ、この句は。どう見たって。
満月:たしかに正確な句意となるとそうなんだけど、人間が悪いのか、「やや弱い」なんてところを見つけるといじめたくなるのかも。。(ーー;)。。「やや」がねえ。。。他は「すごく強い」のかっ、と突っ込みたくなって。
凌:う〜ん、これは売り言葉に買い言葉で批評からちょっとはずれる・・・それよりもこの句がなんで上位に入ったのか一票投じた人には申し訳ないけど解らない。「伝わる」ということでは確かにそうだけど「水揺れる」に微かにひねりの跡は見えるけど、他はただ思いつきを書いただけのような気がする。こんな句はもっと叩かれてもいいのではないか。
と書いて知らん顔しとこうと思ったんですけど、実はこれ私の句なんです。思いっきり叩いて下さい。(名前バラしたらル−ル違反?)ただ桜吹雪さんの「薄暗いところに揺れる豆腐パック」には書いた本人がギョッとしました。ありがとうございました。
満月:(あずさ:<脳のやや弱い>の<やや>につまらないプライドを感じてしまう。)
そうなんですよね、<やや>でその底にある意識がバレてしまったという感じ。この句が九点も取ったというのは信じられない。コメントを読むと<やや>に触れたものはないんだけど、この句を採った方々、そこんとこどうなんでしょう。それにしても桜吹雪さんの「スーパーのパック豆腐」というイメージはすばらしい!そこまで諧謔的に読めば逆に<やや>が効いてくる。
またたぶ:えーと、書きこむほどのことではないんですが、私のコメントでは「やや」が気になると言及しています。だから、満月さんたちと同じ受け取りかな。他の方はその点どうなんでしょうね。

8点句

いもうとが木琴になる雪の朝   宮崎斗士

特選:洋子 隆 満月 桜吹雪 健介 薫 あずさ 

満月:そうなの。いもうとは雪の朝には木琴になるの。でもそれは、かーんと乾燥して、降り積んだ雪の上にもはや真っ青な空がひろがっている朝でなければならないの。そういう朝、きっといもうとは木琴になって、空高く澄み切った音を響かせているわ。ほら、聴こえる。。
桜吹雪:説明のつかないおもしろさ。文脈の流れで妹が無生物に変わるのはおもしろいが、木琴の必然性はあまり感じられない。
薫:雪国住まいの自分から見て、「けっ、大甘な雪の句」が多かった今回ですが、これは雪の朝をうまく捉えているのでは。「おとうと」より、やぱ「いもうと」だよね。
洋子:木琴の高い音色と雪の朝のキーンとした感じがよくわかります。姉でも弟でもなく「いもうと」がすごくいい!!
帽子:語の選択が緩い。
健介:私がこういう句を採るなんて大雪になるかも…というのは冗談です。この句の荒唐無稽さには、どういう訳かすんなりと入り込めた。なぜだろう?
あずさ:この手には、つい、だまされてしまいます。この妹は朝日新聞朝刊連載の4コマまんが「ののちゃん」みたいな妹だと思います。
つっこみ!
またたぶ:毎回なんでこれが高点句?と思わせられるのには慣れましたし、お互い様ではあるでしょうが。
中学の国語の教科書に「妹が死んだ…今日はお前の木琴が聞けない」とかいうのが載ってました。恐縮ですが、私の記憶はあやふやで誰の作かもわからりません、どなたかご存知ないですか?
この句はあの詩を踏まえてるんでしょうか。もし、私のいうような詩が実在してないにしても、どうも既視感が拭えないなあ。
ぴえたくん:またたぶさんのおっしゃるように「どうも既視感が拭えないなあ」と感じる作品をわたしは選ばないことにしています。で、選句結果を拝見する度に「えええ?どうしてこの句が?」と驚きます。が、その既視感は万人共通の場合と個人的な場合がありますので、既視感だけで作品を云々するのはいけないのかな?とも感じるようになりました。
わたしの場合この作品には既視感がなかったせいか「いもうと」「木琴」「雪の朝」どの語もよく響き合っていると思います。他の言葉にも代えられないとも感じます。一句から断片的に言葉を取り上げて既視感を感じたり、パロディを思いついてしまうのは、この作品に限らずどの作品にもできることです。一句として魅力的であればきちんと鑑賞できるぞ、と言われるかもしれませんが(^.^)万人の好みも既視感も乗り越えて唸らせる作品を詠むのは至難の技ですね。
わたしは事情があって大慌てで選句したものですから、「いもうと」が「木琴」に変身したか奏でたのかな?と見過ごしていましたが、選句結果を拝見して、そんな風に現実的な感覚の作品ではなかったと改めて見なおしました。なんで選んでる人が反論せんのんかなあ。
わたしはいつも満月さんや千野さんの評を後学のためと楽しみと、そんなん言わんでもええやんか〜とか、うわあ、図星やわ〜とか思いながら拝見していて、尚且つお二人はどんな作品を選ばれるのかなあ、とも拝見しています。で、恐れ多くも(^.^)お二人に対しても「えええ?なんでそれを選びはったん?」と驚愕することが多いので、無謀と言うか、無遠慮と言うか、うーん、書いてしまった。。ごめん。、
帽子:(ぴえた: が、その既視感は万人共通の場合と個人 的な場合がありますので、既視感だけで作品を云々するのはいけないのかな?とも感じるようになりました。)
いや、いいと思いますよ。だって結局選も句評も、出発点は自分ひとりなのだし。で、誤解があると思うので申し開きさせてください。既視感があるからといって採らないということは、ぼくのばあいはありません。前に似たようなのがあったとしても、後から書かれた、目の前にある句のほうが好みだったら採ります(ミステリ小説で、似たアイディアを使っていても、後から出てきたほうがよりおもしろければ、そっちが好きになるのと同じ)。また、たとえ前のに及ばなくても、とにかくそういうのが好きだから出てきたらわかっててもつい採ってしまう、ということもあるし(「この句は、Aさんの<××××××>という句に似てて、あれには及ばないけど、なかなかいい」と言ってぼくが採った句がやっぱり同じAさんの句だったなんてことがある)、あるいはすでに似た句があっても、そもそもそれに似せて書くこと自体が難しいと思ったら採ってしまいます(このばあい、むしろ既視感自体が魅力になっている)。ぼくは、俳句や川柳は基本的に一発芸だと思っているので、オリジナリティみたいなものにあまり信を置いてません。それから、さらに重要なことですが、先行する「俳句」や「川柳」に似ているばあいにかぎって「既視感」の語を使ってます。だからぼくのばあい、「永訣の朝」(定型詩ではありませんね)に似ている、といったのであって、特定の傾向の先行俳句・川柳を念頭に置いて既視感を感じた、と言っているわけではありません。つまり、まとめると、ぼくのばあい「既視感があったから採らなかった」のではなく、そもそも「既視感」をあまり感じなかったし(類想がありそうかと言われても、ちょっとよくわからないし)、単純に「苦手なものを思い出したから採らなかった」だけのことです。
ぴえたさんは、好みを越えたいと思いますか?万人を唸らせる句がぼくに書けるとは思いませんが、少なくとも、だれもぼくの句のことを嫌いじゃなかったらどうしよう、といつも不安です(「好きじゃなかったら」の間違いではありません)。ぼくは自己愛が強いのか、甘ったれなのか、幼稚なのか、とにかくできればいつも、だれかがぼくの句を見て不快に思ったり、ムカついたりしてほしいと思います。どんなちっぽけなムカつきでもいいんですけど。そして、ぼくの句を採ってくれた人が、「きっとこの句を嫌いな人がけっこういるだろうなと思うんだけど、オレはこの句がスキだぜ」と言って採ってくれる、というのが理想であり目標です。下のほうのtreeであずささんが「人を怒らせるために書く」って言ってるのと、少なくとも字面では似てるかな。
「えええ?なんでそれを選びはったん?」と言われても、人間がふたりいれば選が違うのはむしろ当然なんで…。てゆうか、アレですね。「えええ?なんでそれを選びはったん?」とぴえたさんが思った句は、今回はどの句ですか? それを明記して新たにtreeを始めてください(必然的にぼくや満月さんへの公開質問という形になると思います。それが「つっこみ句会」のシステムなのだから)。そしたら、ぼくは自分とは違う発想を知ることになり、勉強になるでしょう。待ってますね。
ぴえたくん:「雪降ればくちびる少しずつひらく」がわたしにはとても不思議に感じられた選句結果で、今朝、同時に新規投稿してありましたので、満月さんへの公開質問に当たるのですね(^.^) 今回は千野さんの選に不思議は感じなかったので、今後「えええ?」と思う事がありましたら遠慮無く書かせてもらいますね、ありがとう。
(帽子:既視感があるからといって採らないということは、ぼくのばあいはありません。)
はい、わたしも今朝、次回の選句をして、よく似た短歌作品を思わせる、けれど、これは俳句と言う別のカタチで表現されていて面白いぞ、と感じる作品を選びました。わたしの場合は絵画、詩歌、風景、短歌、生活、あらゆる分野において「みたことあるやん」を既視感と表現していましたが、千野さんは厳密に「先行する「俳句」や「川柳」に似ているばあいにかぎって」いらっしゃることがわかって面白く思いました。
(帽子:苦手なものを思い出したから採らなかった」だけのことです。)
これはわたしもよくあることです。
わたしは万人じゃなくて誰かお一人でも、大好き、か大嫌い、と反応してもらえればいいと思います。誰からも好かれも嫌われもしないのが一番悲しいと思います。だから千野さんの不安はよく理解できます。
(帽子:そして、ぼくの句を採ってくれた人が、「きっとこの句を嫌いな人がけっこういるだろうなと思うんだけど、オレはこの句がスキだぜ」と言って採ってくれる、というのが理想であり目標です。)
わたしが千野さんの作品を選ぶ時、あるいは「これってきっと千野さんのんやわ(よく他の人だったりしますが)」と思って選ぶ時は、いつもそう思っています。
大昔(女子大生だったころ)テレビで見る気象予報士さん宛にバレンタインのチョコを送ったことがありました。ファンレターに「わたしはあなたが牡蠣フライと同じ位好きです」と書きました。その気象予報士さんは別に美形でもなんでもなくて、誰もこの人にファンレターなんか書かないだろう、と思いながら送ったことを思い出したので、余談ですが書きました。
帽子:わはははは。それはスゴイ。でも、その人が牡蠣アレルギーだったらどうしよう。そうじゃなかったことをお祈りいたします。
(ぴえた:わたしが千野さんの作品を選ぶ時・・・)あれっ。採ってもらったことありましたっけ。だとしたらありがとうございます。もしそれが全部ほかの人の句だったとしても、とりあえずありがとうございます。
帽子:(またたぶ:毎回なんでこれが高点句?と思わせられるのには慣れましたし、お互い様ではあるでしょうが。)
はい。この句は親族名称に甘えている気がします。なんかテキトーに語を組合せただけに見えてしまうんです(要は、ぼくにはこの方向に感受性が欠けてるんでしょうけどね)。松鶴屋千とせじゃないんだから…いもうとが木琴だったころ、おとうとは月琴で、おふくろは鉄筋コンクリートだった。
(またたぶ: 中学の国語の教科書に「妹が死んだ…今日はお前の木琴が聞けない」>とかいうのが載ってました。)
それはよく知りませんが、「いもうと」で「雪の朝」なので、ぼくの大嫌いな宮澤賢治の「永訣の朝」を思い出してしまったのも、採れなかった理由のひとつです。
またたぶ:このコメント読んだ直後には、またチノボーさんの「がつん」が出た、と内心苦笑?してたんですが、
今回「木琴」の作者探しの一環でひっさしぶりに「永訣の朝」を読み直しました。うーーーーーーーん、情緒120%全開。参った。私は今でも賢治派のつもりですが、少なくとも「永訣の朝」には負の方の情緒しか感じられなかったぞ。意外でした。世の大勢の賢治崇拝に絡めとられていたような気さえします。
妥当かどうかはともかく、この1年余、青山で書いたり読んだりしてきたことが、現在の私のこうした感性のバランスに出てきているのだと思う。
帽子:ホント、ぼくは好みだけでものを言ってますね。
カルトメジャーなもの、メジャーでありながら若者にカルト的に支持されているものの多くは、弱いところで人とつながろうとしているような気がするし、たとえ作者にそのつもりがなくても、享受者のほうはそっちの路線で「ああ、自分のなかの弱いところに語りかけてくれている」と思う傾向があると思います。宮澤、太宰、啄木、中原中也、寺山、ラディゲ…。および三島やコクトーやサリンジャーの一部の作品。音楽では尾崎豊。客観的に見れば絶賛の嵐が恒常的に巻起り、教科書に載せてOKなお墨付きも出ているのに、読み手に「これがわかるのは自分だけだ」と錯覚させるテイスト。自分だけでもなんとか抵抗していくぞ、と決意を新たにする次第です。
満月:この句への私のコメントがえらくまともに乗ってしまっているように見えますね。で、真意を。なんだかへらへらした薄くて妙に白い紙の、何故かわからないけど屏風畳みの装幀の本─みやげもののような─に書かれた土産物用の童話。これが私の描いたイメージです。むしろチノボーさんのコメント(いもうとが木琴だったころ、おとうとは月琴で、おふくろは鉄筋コンクリートだった。)に近いパロディっぽい感触。それも童話作家が書いたんじゃなくて、コピーライターが「いかにもそれらしく」書いたニセモノ的で、その現実感のなさが、「いもうと」の言葉の薄っぺらさと一緒になって、へらへらと飛んでいきそうな気がしたんですね。「雪の朝」もいかにも手抜き。このへらへらまがいものっぽい感じがあの揶揄的(なつもりの)コメントを生んだんですが、あんまり点を取るし、他の人のコメントがまともに「よい」と受け取っているので、コメントの意図がひっくり返ってしまったような。。まるで酔っているように見える(ーー;)。。
>
> 中学の国語の教科書に「妹が死んだ…今日はお前の木琴が聞けない」チノボ−さん。>宮澤賢治の「永訣の朝」を思い出してしまったのも、採れなかった理由>のひとつです。
そうか、「永訣の朝」に木琴出てきましたね。。。うーーーん、もっと思いっきりからかえばよかった(^^;(私は賢治は好きですが)。
(またたぶ:中学の国語の教科書に「妹が死んだ…今日はお前の木琴が聞けない」/帽子:宮澤賢治の「永訣の朝」を思い出してしまったのも、採れなかった理由のひとつです。)
そうか、「永訣の朝」に木琴出てきましたね。。。うーーーん、もっと思いっきりからかえばよかった(^^;(私は賢治は好きですが)。
またたぶ:それが文字だけのコワさというか…皮肉で書いてんのにマジでとられるのはつらいですね。
今ウェブで確認したけど、「永訣の朝」には「木琴」は出てきません。「妹よ 今夜は雨が降っていてお前の木琴が聞けない」今でも教科書に載ってる有名なやつなのに、作者が思い出せない〜〜〜。goo くんで検索したら、もろエロいのに当たって気分悪い。
一郎:それは金井直の「木琴」です。
またたぶ:これは自力では探せなかった。山本さんありがとうございます。
満月:私もたいがいいいかげんな奴ですね(ーー;)。。そういえば賢治は金管楽器と弦楽器。電線のオルゴールとか光のパイプオルガンとかは出てくるけど、木琴はない。一応詩は今、全部ざっと目を通してみましたが。
(一郎:それは金井直の「木琴」です。)
おお、金井直は一冊しか持たなかくて知りませんでした。ありがとう。
(ぴえた:「えええ?なんでそれを選びはったん?」)
えっと。。実は前に書いた「土産物用の童話」という印象と、採った直接の理由になった印象とは別のところにあるのです。それを書こうか書くまいかと迷っていたんですが・・・書いてしまいましょう。この句、初めは採る気はぜんぜんなかったんですが、読んでいるうち、昔出会ったある場面を思い出しました。それはある女性が、なんというか「無知がえり」とでもいうような状態になっているところです。子ども返りというのはよくあって、いくらも見ましたし経験もしました。それと多分同じような原因で起こるのではないかと思うのですが、知で判断することをやめてしまうというか、、、うーん、ちょっと表現がむずかしい。・・で、書くのをためらった理由である「差別表現かもしれない」部分を書かなければならないのですが、「ばかになる」という感じ。こういう、「子ども」になってしまう、「ばか」になってしまう、という状態はきっとある状態に陥った人間の精神には必要なことなんでしょう。これはかなりいい意味で使われる「イノセント」という言い方とも違う感じです。追いつめられてどうしようもなくなったとき、「大人」「知」という部分(すごく乱暴な並べ方ですがこれしかいいようがない)を捨てることで精神を防御するとでもいうかのように。前に戻りますが、その女性のそういう状態がまさしくこの「いもうとが木琴である雪の朝」だったのです。その、宙に浮いたようなひらひらした、経験とか知恵という歴史をいっさい捨て去った彼女のありさまは、「へらへらの屏風畳みの土産物詩童話」?そのものでもありました。どこまでも明るく空っぽで薄膜のような悲惨、といったらいいか。。その光景がはなれなくなったとき、この句を採りました。
実は<雪降ればくちびるすこしずつひらく>も、同じように知を捨てた印象があった。・・・こういうものに惹かれてしまうのは、私がそういうものを欲している状態ということなのでしょう。
またたぶ:そうでしたか。一理はあるとしてもそこまで好意的な読みは一般には期待できないだろうと思ってたら、本当に支持高かったですね。他の方の支持理由も伺いたいんですが、一応納得しました。                
薫:はい、私もいただきました。私にはけっこうイケてる句だと思えるんです。満月さんのイメージ、近いです。雪は白い悪魔ですが、「きつねのてぶくろ」な朝だけは無垢。「雪の朝」確かにその辺から拾ってきたような稚拙を装いながら実はひらかなの「いもうと」と呼応してかなり計算されている句とお見受けいたしましたが、深読みなのかなぁ・・・・後悔はしてないぞ。
あずさ:わたしも採ってたんですよね。一言だけ。わたしにも既視感はありました。具体的な作品としての既視感ではなく、イメージとして既に視たことがある。で、わたしの場合は、ある意味で4コマまんがの「ののちゃん」にまで落ちて貰って、この句と握手したのです。肺病に罹って今にも死にそうな妹が木琴になるのであれば、「ゆるせん!」と思った可能性は高いっす。

冬ざれの芯としてあり投手板   朝比古

特選:帽子 桜吹雪 一之 安伸 まな かんこ あかりや 

桜吹雪:芯=投手板に多少の理屈っぽさは感じた。
輝:シーズンオフの侘びしげな情景を描きて妙
帽子:季語の選択には難が残るが、投手板の負の存在感というか「非在感」をとらえて秀逸。
かんこ:木も草も枯れている冬の野原が見える。
あかりや:<投手板>が磐石です。風花がマウンドで吹き上げている様子と、ピッチャーのワインドアップとがダブルイメージされます。
満月:あれは投手板という名前なんですか。知らなかった。ここは誰もいない草野球場?「あり」はちょっと気になった。
またたぶ:着想は買い。「としてあり」は演出過剰。


7点句

雪霏々と昭和の念寫實験に   千野 帽子

特選:凌 特選:あずさ 明虫 満月 薫 

明虫:その当時、大学教授が遠隔透視能力のある女性を被験者にして、結局周囲の無理解から本人もその女性も苦しんだというような話を聞いた。大衆は見えないものが見えるということで熱狂するが、少しでも嘘が見つかると全部を否定してしまう。昭和の静かな雪がふる中で。
満月:この念寫の結果にはなにが記されるのだろう。「念写実験」でなく<念寫實験>であるところがどこか泉鏡花か夢野久作といった雰囲気で<霏々>がやけに効く。
凌:「念寫」は一念を込めてイメ−ジするものを画像にする、という程度のテレビから仕入れた乏しい知識しかないが、モノクロのフィルムに閉じこめられている、抑圧された貧しさと戦争の昭和史は、日本人のすべての一念によって炙り出された念寫の世界。それらは、時が経てば経つほど擦り切れたフィルムとなって、さらにリアルに私たちの体に突き刺さる。そして、すべてを浄化し美化してしまう雪がその上を覆ってしまう怖さ。旧漢字体がさらにその怖さを増幅する。
薫:念寫實験、使いたい言葉だ。旧字体が効いていると思う。時節柄、「貞子」を想像させちゃうのが惜しいが好きな句。
あずさ:「りんぐ」を思い出した。
健介:「昭和の」と言っても範囲が広すぎると思うけど旧字体を用いていることからすると昭和の初期なのか? こういう世界は好きです。でもどうせ凝るなら徹底してくれないと興ざめです。待てよ、このワープロにも「雪」の旧字体が…無いッ何てこったッ!とすれば作者もせめて<念写實驗>とはしたかった筈なのに止むを得ず…という訳か?

雪隠に駆け込む人の背鰭かな   中村安伸

特選:桜吹雪 特選:薫 凌 ぴえたくん けん太 

けん太:「雪隠に愛咬の午後積もるなり」という句もありましたが。雪隠は背鰭でしょう。おもしろさのみですよ。
桜吹雪:トイレに急いで駈け込む後姿に背鰭がちらと残像として見える。感覚的なおもしろさ抜群。
凌:ころしたい奴をころすには絶好の後ろ姿だが、もう哀れで引き金も引けない。
ぴえたくん:想像してしまいました。
薫:半魚人になりかけてる。「駆け込む人」のところ、素直さが良いのか、ひとひねり欲しいのかよくわからないが大いに共感したので特選です。
満月:<駆け込む>は言わないで欲しかった。<雪隠>と<背鰭>ならなにか出来たかもしれないのに。
帽子:山上たつひこ『旅立て! ひらりん』。
健介:半魚人を真っ先に連想したら“元気が出るテレビ”を思い出した。その次に早稲田松竹に地底人が現れたのでしたね。ともかくこの句は可笑しい。でも「駆け込」んだとしても“着ぐるみ”を脱ぐというのが難関で、苦悶と焦りがまさにピークに達するんだよね。あそうか、彼らは本物でしたね……

倫理学吾が立つ位置の雪崩かな   足立隆

特選:青 洋子 明虫 姫余 まな けん太 

明虫:倫理学とまで言ってしまうと説明的になってしまうし、その割には自分の倫理学の足元が揺らいでいる、という意味以上に読み取れなかった。でももっと何か言おうとしていることは感じました。
けん太:これはほんものの不条理ですよね。倫理学が少し思わせぶりで。でも好きです。
姫余:だだ一言。こういう作品・・好きです!
青:倫理という言葉が雪崩れと微妙に呼応する。倫理とは 雪崩れを予想しながら、成立しているものなのだ。
洋子:倫理学と雪崩ってなんかいいですね。
満月:頭で作っている。
帽子:こういう上五で書かれる俳句はいいと思う。こういう中七下五で書かれる俳句も好きだ。しかしその上五とその中七下五とが合体すると、どうにもちっぽけな意味が発生してしまう。作者にそのつもりがないのだったら、どうか分解してふたつの句に作り変えていただきたい。逆に、最初からそんなちっぽけな意味を発生させるつもりで作られたのだったら…あなたの才能をそんなものに使うのはもったいない


5点句

雪催嘘つくための紅選ぶ   室田洋子

特選:けん太 秀人 一之 いしず 

秀人:「ための」が説明的だと感じはするのですが、その説明的なことが、かえってこの句の心を語っているのでは……。皮を切らせて骨を断つ手法。
けん太:情念をよしとして、特選句としました。まんまなのですが。こんな句も好きです。
満月:陳腐な素材と内容。ま、嘘つかないよりはずっといい。
またたぶ: 「嘘つく/見える/隠す」など青春俳句系でのご用達アイテム。それをわざわざなぞることはないでしょう。
帽子:演歌にしても3コードR&Rにしても、慣習からのパクリによって成立している。この句もそう。全国の作詞教室で毎日50人がこのフレーズを書いているということです(JASRAC調べ)。

使はれぬ機械夜明けの雪の嵩   杉山薫

特選:秀人 特選:健介 朝比古 

秀人:この情景が詩的です。使われていない機械。雪。この調和・不調和のあわい。素晴らしい。あえて世情を映したとは捉えずに、イメージだけで勝負できる作品。
朝比古:写生の句として、及第点。下五は一考の余地。
満月:言葉がもたついてまどろっこしい。機械の側から表現してみては?<使われぬ>も<機械>も<夜明け>も<雪の嵩>も、みな作者からの距離が同じでめりもはりも出てこないのだ。
帽子:うまいが、前半8音と後半9音とが近い気もする。なんにしても好きな雰囲気の句です。
健介:「使われぬ機械」という表現の曖昧さが、以下と“照応しない解釈”を生じさせる余地を残すことの憾みはある。だが、私はむしろ想像の広がりを生む効果を重視したいと思う。「夜明けの雪の嵩」というのも、下手に“俳句的にこなれたもの”にしない方が良さそうに思う。考えさせられる内容の深みに惹かれた。

4点句

朔風やさんかくの馬駆け抜けて   田中亜美

特選:かんこ 安伸 ぴえたくん 

かんこ:駆け抜けて行くさんかくの馬が、凛と突き刺すような北風を感じさせる。朔風:さんかく:駆けぬけ、と響きがいいです。
ぴえたくん:さんかくの馬がおもしろいよん。
満月:上五と中七下五がイクオールになっている。<朔風>を言わずにこんな風を表現してくれたらよかったのに。
またたぶ:意味的に説得力に欠ける、少なくとも私には。「朔風」と「駆け抜ける」も近すぎるし。しかし「さんかくの馬」のリズム大好き。何とかこれ生かしたい。
帽子:イメージに甘えている。
健介:これって三角木馬じゃないッスよね。失敬…。

風花のあてもなくゆくものの背に   柚月まな

特選:隆 朝比古 かんこ 

輝:風花の感じよく出ている
朝比古:風花の哀感。つきすぎと言われそうだが・・・。
かんこ:風花もほのかにあてもなく舞い降りてくる・・・。奇をてらわずにすらりと詠まれていて、やわらかないい句だと思う。
満月:<〜ゆく>までで切って読んでみたら<ものの背>とは何?となってしまった。どうして一句を完結させようとしないのだろう。これから短歌の下の句が始まりそう。俳句未満。
帽子:そもそもこの季語を選択した時点で、現代の俳人はそれが背負う悪質なポエムと、残りのたった13音で戦うことを覚悟しなければなりません。ところがどうやらこの句の作者は、風花という語が背負ってしまった「おポエム」が大好きらしい。
隆:やくざ映画のラストシーン。殴り込みに行くヒーローの背。作者の思いとはたぶん異なるイメージを感じました。人間は誰しも寂しいもの、という一般論を感じさせながら、尚その先にある生きねばならぬ人間の業を思わせてくれる句です。

コート着て首相に似たる男かな   足立隆

谷 健介 景琳 一之 

景琳:ふむふむ首相似か、寒心。
谷:瞬間芸の面白さかな。 
満月:「何が何して〜」型に近い。<着て>のところがそうしたように思う。
帽子:『笑う犬』の「ぶっちゃん」?
健介:「コート着て」がやや取って付けた感じ。もっといい句にできると思う。実は私も現首相によく似た人を知っています。“似てる”と言われてこれほどまで嬉しくないと思う首相って現首相と、あと一人“三本指”を暴露されて“明鏡止水の心持ち”などと言って辞めたオジサンと…ぐらいでは? この「似たる男」の方に同情して一票…。

マネキンの乳頭尖る寒の入   白井健介

隆 景琳 輝 いちたろう 

景琳:これまた裸のマネキン御苦労、寒っ。
輝:かなり観察が鋭い
いちたろう:なんで人間じゃないんだろ、恥ずかしいからかな、とも思ったけどマネキンだからこそ句になるのかも。「マネキンの」が芸能人名だったらどうでしょう?
満月:寒そう。へんなところに目を付けたのは「俳」だが、以前にもこの手のマネキン寒乳首ものはあったような気がする。なんだか小さくまとまっている。
またたぶ:「マネキン」は詠み倒されているんだから、これじゃマニア受けしかしないって。
帽子:けっこう作者は「発見」のつもりだったりしてね。

津軽路に紅い雪舞う僕の肺   神山姫余

特選:斗士 隆 けん太 

けん太:装置がよくできている。言葉と物語と、どちらを主体に構成していくか。これは物語派の押したい世界ですよ。
斗士:情感あふれる一句。「僕の肺」という展開が心地いい。作者の人生観みたいなものも垣間見えてくる。
満月:これまたばらばらな句。<津軽路>だったのに読み終わったらいつのまにか<僕の肺>になっている。ここはどこ?僕って誰?どっちかにして。
またたぶ:部分的には光ってる。全体としては盛り込みすぎの印象。
帽子:だから寺山は退屈なんだって。

白亜紀よりはみだしてある手足かな   摩砂青

斗士 薫 いしず あずさ 

薫:これ、ヘン。「白亜紀より」もヘンだし、「はみだしてある」って言わないのでは?「白亜紀よりは」で切れるとしたら「みだしてある」はひらがななのはなぜ?何か崇高な狙いがあるのかもしれないし、気になるので並選。
斗士:荒唐無稽さが妙に印象的だった。
満月:白亜紀「より」ですか。うーーん、白亜紀からずっと今まではみだしているのか、体は白亜紀にあって、手足だけが現代にはみ出してきているのか。。「はみだしている」でなく<はみだしてある>だしなあ。。
またたぶ:最近「手足かな」を他でも2句見かけた。はやってるみたい。
帽子:中七下五がかなりいい。「白亜紀」みたいな語にちょっと甘えすぎてる気がしますが。
あずさ:つい、はみだしてしまう手足。白亜紀から、とは実に壮大。

ソクラテス語り終えたり野水仙   またたぶ

特選:ぴえたくん 帽子 すやきん 

すやきん:ツァラトゥストラはかく語りき、じゃないけど山ごもり一度やってみたいなあ。ニーチェも昔はよく読んだなあ。(笑)
帽子:水仙はナルキッソス。ソクラテスと美青年アルキビアデスとの関係を思わせて秀逸。ただし中七の処理にはおおいに疑問が。
ぴえたくん:水仙の香りにうっとりするからかな?余韻が色っぽいと思ってしまいました。
満月:野水仙がソクラテスのことを語ったのだ。水仙といえば自己愛の象徴だが、ナルシスの神話に出てくるのは実はラッパ水仙系の原種。日本水仙はソクラテスのいた地には自生しないが、この種ならソクラテスを語っても不思議はない気がする。

獏の呑む水を樹海に汲んでいる   千野 帽子

薫 またたぶ けん太 いちたろう 

けん太:なにか不条理感が伝わってきて。見逃せませんでした。
またたぶ:練る余地はあると思うが、志を買いたい。ただ、現実味がない情景なのでこの「に」は「汲んでいる場所」なのか、「水の移動先」なのかはっきりしないのが気になる。
いちたろう:こういう映像、フィルムで表現しようと思うと時間とお金と機材がかなりかかりますが、言葉だとすぐ「観れ」ますので、俳句ってすごい!
薫:獏鍋にする前に水飲ませとく、のか??牡丹の水とどっちがおいしいのだろう。すっきりしていて哀感も漂っていて好き。
満月:獏も樹海も観念の中にしかないので、一句の世界に入ろうとすると作者の意識のバリアが邪魔する。作者の観念の中にとどまっている物語と感じるので、この樹海から出てきて世界を見せて欲しいのだが。

雪女リンゴ・スターが一番好き   宮崎斗士

凌 洋子 帽子 あかりや 逆選:桜吹雪 

桜吹雪:「好き」という主観的判断を句に書いても。ふーんそうか。という反応しかないのでは。言葉のおもしろさも感じられない。
帽子:この季語は使いにくい季語で、使うとどうしてもありがちになってしまうところ。しかしこの句は中七以降の展開でうまくいったと思う。雪女団塊世代説? …
凌:軽いタッチでイキで・・いい。
洋子:可愛い句。雪の白と林檎(違うか!?)の赤がとても鮮やか。
あかりや:雪/女/林檎/星/一番/好き/リバプール港町演歌の決定板。
満月:天衣無縫さが好きだ。なぜだか雪のなかで林檎のような赤い頬をした女の子が林檎そのものにかぶりついている光景が浮かんでしまうだ(^^;。あれ、雪女の句なのか?─あたしはジョージ・ハリスンが一番だけどねえ。

雪女99%タンポン派   山口あずさ

特選:景琳 満月 いちたろう 逆選:来夏 逆選:洋子 逆選:夜来香 逆選:朝比古 逆選:秀人 逆選:薫 

景琳:あとの1%にぐいぐいひかれびっくり。
満月:好っきだ〜(^^; そうよ、雪女はタンポンよ!パウダースノウの雪女。いや、氷の塊みたいなやつか?実に実に「俳」だ。
来夏:見たんかい!
秀人:刺激が強すぎて眩暈してしまいました。言語野が麻痺しています。
朝比古:最もつまらん作り方の典型。面白がっているのは作者のみ。
夜来香:雪女はナプキン派でいてほしいので、いただけません。
いちたろう:あくまで雪女は白です、と言っててたのしい。雪女の冷血さがタンポンという語の生臭さを消してくれてるのでは?
薫:この句も共感した。共感したが、逆選。おっしゃる通りなんですが、事実だからこそうーむ、言って欲しくなかったというか。
洋子:これは、ちょっとひどい。
またたぶ:「雪男55%ブリーフ派」
帽子:リズムがよければ採った。
健介:アンケート下結果だとでも言うつもりか? そもそも私の認識では生理中に雪女であるということすらあり得ないのではないかと思っている。というのはどういうことかというと……まぁその理由はここでは触れないが、私はこの句を逆選にして作者を喜ばせるというような甘やかしは、もはやすべきではないと思います。
あずさ:個人的には、タンパックスタンポン日本製造及び販売中止で困っていのだるが。。。

3点句

湯けぶりの先に灯るや寒椿   二合半

秀人 輝 安伸 

秀人:単純にして素朴。素朴にして純情。純情にして妖艶。妖艶にして平凡。なかなかできない技と見ました。
輝:「灯る」の表現が美しい。
満月:この「や」は疑問のやでしょうか。うーーーん、寒椿という存在の厳しさみたいなものを感じさせてくれないかなあ。<湯けぶり>はのんびりしてて、寒椿もそれなりにのんびり灯っているようにしか感じられない。
またたぶ:村起こし俳句にいい。
帽子:うんうん。気持ちはわかります。とりあえずその「風流ぶり」をなんとかしましょうや。

冬晴れて猫が寝起きの上着柄   谷

特選:輝 夜来香 

輝:ちょっと目に付き難いところだが、面白い
夜来香:上着柄というのがとても新鮮な言葉です。暖冬にはヒョウ柄のコートって暑苦しく見えますからね、フェイクファーでも。
満月:「寝起きの上着柄」ってなんですか?判じ物???
帽子:舌足らず。

なみだ枯れ睫毛につもる雪やさし   にゃんまげ

特選:すやきん 輝 

すやきん:睫毛が長い人はそういう優しい目に合うのですねえ。こういう句調が私は大好きです。
輝:いささかオーバーだが解らなくもない
満月:「何が何して何とやら」型に近い。上五の説明がうっとおしい上に全体にじめじめしているし、<雪やさし>は一般的かつ少女趣味的でつまらない。
またたぶ:「頬やら睫やらに雪が積もる」のは俳人が一度は詠んでみたくなるはしかのような描写。オリジナルへ進もう。
帽子:ド演歌+風流ぶり。

菜の花の波の間に忘れ物   来夏

特選:一之 またたぶ 

またたぶ:これはこれでできている句。ただ類想ありそう。
満月:かわいいけどそれだけ。「俳」のない短詩。
帽子:「菜の花」を「波」としたところが大発見のつもりでしょうか。下五は余韻を持たせたふりをしていますが、手抜きに見えます。

初夢やずぶ濡れのまま立ち尽くす   ぴえた

特選:谷 来夏 

来夏:初夢は覚えていませんが、ずぶ濡れなら見てみたいかも(濡れ違いかもしれませんが)。
谷:初夢をこのように書く珍しさ。でも新鮮な感じが無いのはなぜだろう。
輝:この一年いいことなさそう
満月:中七下五は何か句になりそうだったのに、この上五は!
またたぶ: 表現のオリジナル性が低い。
帽子:B'zのクリップみたいで、ほっぺた痒いです。

水仙を言い河岸を別れけり   満月

特選:亜美 青 

亜美:すっきりした色気のある句
帽子:ややありがちでは。わざと舌足らずにしたあたり、俳句の伝統の悪いところをまねしている。

異人館十人十色の雪の熱   いしず

特選:姫余 来夏 

来夏:素肌感覚でしょうか。文化の違いは熱の違い?
姫余:異人館と雪の熱が妖艶な雰囲気をかもしだしていて、不思議な世界を作り出している。
満月:<館>が十人十色?異人館を訪れている人達と受け取るには、館に積もった雪自体が熱を持っているようなので無理がある。<雪の熱>も言葉としてイメージの誘導力に欠ける。
帽子:上五と下五の取り合わせがとても好きです。中七がカッコ悪すぎたので採りませんでしたが、このままではもったいない。ぜひ推敲してほしい。

HEY JUDE 雪片(ひら)どれも鮮しき   またたぶ

明虫 景琳 ぴえたくん 

明虫:HEY JUDEがよかったかハーイポパイがよかったか、はたまたヘイポーラがよいのか。(最後のはよくない)私も雪片のような鮮しい目でいたい、と考えてしまった。
景琳:HEYへいへいへ〜い、こりゃまた驚き。
ぴえたくん:なんだか泣けるので選びました。
満月:中七下五はとても魅力的。でもHEY JUDEの歌詞の内容を忘れてしまった私には、いまひとつ感触が掴めなくてもどかしい。今この歌詞をすっと思い出せる人がどのくらいいるんだろう。昔この歌が売り出された頃、JUDEを柔道と思っていた知人がいたことの方を思い出してしまった。。
帽子:「鮮」の字の選択がちょっと恥ずかしい。

春埋む貝殻骨の下あたり   杉山薫

洋子 青 いしず 

洋子:掘り返して見ようかな。
満月:<埋む>は今から埋めるということ?すでに埋まっているのでは?もうすぐ春だよ。
帽子:惜しい! 「春」なんかじゃなくてもっと具体的な季語を「埋」めてくれたら、特選にしたかもしれないのに。
つっこみ!
薫:「春」じゃなくてもっと具体的な季語を埋めたらどう?とちのさんはおっしゃっていましたが、何を埋めたら良いでしょうか。>皆さん
考えてみました。ここは定型だと思うんですが、虻、韮、蜷、ます、うーん・・・・花や蝶じゃ付きすぎだし、候補1にら。候補2桑。候補3雉。あ、雉がいーかな。痛そうだけど。
満月:あーーー、私はこれは球根を埋めて欲しかったです!かなりありきたりかとは思いますが。でも、それがいい。で、ノートルダムの・・・じゃないけど、そこのところがぷっくりとふくらんでいる、と。
にら・・・・うむぅ。。臭いそうですね。雉もなるほどです。
帽子:ぼくなら、季節を秋に持ってきて<月埋む貝殻骨の下あたり>とします。

公園の朝の雪消えサキソフォン   谷

朝比古 輝 すやきん 

すやきん:何故かジョン・コルトレーンが公園で練習している様子を連想致しました。音色が聴こえてくるような綺麗な句ですね。
輝:きれいな情景描写ですね
朝比古:サキソフォンのキラキラした感じがヨイ。公園という場所の限定は不要だったかも。
満月:「何が何して〜」型。公園は言う必要はないのでは?少なくとも私にはうるさい。
またたぶ:「サキソフォン」はもっと効果的に使おう。
帽子:中七につめこみすぎ。上五がかなり緩く見える。

雪待ちの臨時吟行連絡網   白井健介

凌 夜来香 姫余 

姫余:中七から下が、リズミカルでおもしろいと思う。
凌:俳句する現場のいい雰囲気が伝わってくる俳句
夜来香:ほんと、太平洋側関東地方の人は雪降ってくれないと、雪の句はむずかしいんです。
満月:構成は面白い。が、なんで<吟行>?つまらない。ここは「臨時恋愛連絡網」とか、もっとヘンなものを考えて欲しい。ちょっと俳不足。
帽子:中七下五はいいんですが。「待」つという語が季語や気象現象にたいして使われたときにどうしても発生してしまう「風流ぶり」をどう克服するかが問題ですね。この句ではまだ自分(たち)の風流ぶりに酔ってますね。

アボガドを切りながら雪松林   けん太

特選:夜来香 明虫 逆選:二合半 

明虫:アボガドと雪の質感の対比が新鮮です。
二合半:なんか引っかかるんだけど、選べずじまいの句でした。たんに「アボガド」という言葉の響きが好きなのかも。
夜来香:青っぽいかんじがします、なのになぜか雪の降る情景が浮かんで・・。アボガドというのがシュールさを出しているのでしょうか。
満月:なんで松林なんだろう。たまたま松林だっただけなのではないか、と勘ぐりたくなる不用意な措辞。<雪>で切れてる?ではますます松林の出現が不可解。
帽子:下五は五音余ったから入れたって感じですね。
健介:<avocado>の綴りからすると“アボカド”とするのが正確だと思う。

雪隠に愛咬の午後積もるなり   中村安伸

凌 斗士 健介 逆選:亜美 逆選:すやきん 

すやきん:浄瑠璃も将棋も何かに臭ってきそう。
凌:「雪」という課題に「雪隠」が沿うのかどうかは別にして、追いつめられて極限状態のまま求めあう男と女に雪は不可欠。しかも「午後」という設定が、成りゆき任せのだらしなさまで見せてくれるような気がする。
亜美:ちょっとくどい。
斗士:「愛咬の午後積もるなり」好きなフレーズ。「雪隠」が、ちと合わせ過ぎか?
満月:雪隠句二句目。<愛咬の午後>は何か力を感じる表現。それが積もるというのも力がこもってくる感じだ。しかしここに<雪隠>はあまりに「俳」を意識しすぎで強引な感じがする。ふと現実の光景を想像してしまうと、「昼間っからどこで何してんだ、お前はっ!」と怒鳴ってしまいそうだ。
またたぶ:なんか摂津チック。私の鑑賞力を上回ってるようです。
帽子:ちょっときゅうくつな措辞。
健介:イメージからすると殊に「雪隠に」でなくっても…と思う(まぁ題が「雪」だからという都合もありましょうが)。内容はとても好き、てゆうかぁこの句を採らなければそれは私の偽者よ!と、これはまぁ冗談ですが……

2点句

気持ち良くすべて壊して雪とする   いちたろう

二合半 亜美 

二合半:「気持ち良くすべて」を壊す。今の自分の心情にピタッときてしまいました。
亜美:気持ちよい韻律
満月:「気持ちよく」を書かれては読んでいて気持ちよくなれない。一体何を壊すのかも不明。
またたぶ:「とする」はリクツだねー、いくら「雪」でも。
帽子:曖昧にして意味深狙いなのでしょうが、ただの思わせぶり。読んだほうは気持ちよくない。

時朽ちて雪静かに雨へと変わる   小島けいじ

にゃんまげ かんこ 

かんこ:時朽ちて・・・・しーんとみつめている。雪静かに雨へと変わるのを。定型にしようとやってみたけど、やっぱりこの句はこのままがいいみたい。
満月:一句全体で時が朽ちるということを表現して欲しかった。それにしてもこの語呂の悪さ、リズムの悪さ。しかも順々に「何が何して何とやら」だ。俳句未満。
帽子:上五が恥ずかしくて音読できない。毎年毎年馬に喰わせるほどデビューしては消えて行く癒し系女性歌手(その半分は芸名に苗字なし)のシングルのカップリング曲(どういうわけか判で押したようにパッヘルベルのカノンと同じコード進行)の歌詞そのもの。

乱取りのモザイクとなり深雪晴   朝比古

帽子 青 

帽子:未来派かキュビスムの絵にこういうのがあった。
満月:・・なんか・・・・えっちのことみたいな?

初雪と気付いた頃にはなくなりて   二合半

朝比古 秀人 

秀人:庶民の素朴な日常感覚。技巧がないのがいい。こういうのを選ばない人もいるとは思うのですが、あえて選ばせていただきました。
朝比古:中七説明的なのが残念。
満月:それからどうしました?としか言いようがない。一句が完結していない。句未満。
帽子:俳句でも川柳でもいいけど、読んだことあります?

この雪の果てし無きほど鉄の海   いちたろう

特選:いしず 

満月:よくわからない。<鉄の海>って?<果てし無きほど>って?
帽子:ちょっとよくわかりませんでした。
健介:「鉄の海」という把握など、雰囲気に惹かれるのだが、上五中七の言い回しにもう一つ納得できないという印象です。

大寒の魔王紛れて立てこもり   城名景琳

けいじ いしず 

満月:じゃーーん、これから童話が始まります!というところで終わってしまった。どうして一句にしてくれないの?こう終わらない句が続くと欲求不満になってしまう。
帽子:舌足らず。

もう二度と戻らぬ決意日記買ふ   柚月まな

隆 二合半 

二合半:ありがちなモチーフであるとは思いますが、そのストレートさと力強さをかいます。
満月:という日記。特に人にわからないようにぼかしてあるところなど。
帽子:で、三日坊主で戻っちゃった? 演歌な信条吐露。
隆:それほど大げさにして日記を買うこともないと思うが、戻らぬ決意にひかれました。
健介:「日記買ふ」では内容的にやはり付き過ぎでしょう。

じゃんけんに負けし使いの牡丹雪   いしず

夜来香 ぴえたくん 

ぴえたくん:雪が珍しい場合はお使いのご褒美のようにうれしい牡丹雪かもしれないね。
夜来香:雪降るという状況のうれしさが、じゃんけんに負けたことで際立っていると思います。素直さがいい。
満月:<使い>がはっきりしない。まあ、じゃんけんに負けた方の兄弟がお使いに遣らされてるんだろうけど。<使いの>なんですか?「に」とか「や」とかじゃなくて?。。。
帽子:いるんですよね、こういうこと書いて先生騙して喜ばせる小学生。俳句子役と呼んであげよう。ま、この手に騙される先生も先生なんですけどね。

雪降るは静寂といふ音のこと   夜来香

特選:まな 逆選:隆 

まな:私の住んでいるところでは、まともに雪が降りません。スキー場や旅行先でしか、みたことのない、しんしんと降る雪を思い出します。
満月:うーーん、書きたかったことはわかる。しかしこの部分は従来ゴマンと書かれて来たんじゃないか?あ、またアレか、とつい思ってしまう。<静寂という音>の中で何かが起こっている、というような句だったらいいんだけどな。
またたぶ:コレハ事典ノ記述デスカ?
帽子:当り前すぎ。
隆:こういう作品を逆選にしなくてはならないのは、たぶんつまらないと思っています。もっと過激な句があったらよいのに。つまらぬ逆選と思いつつ。

雪ひらりふわりゆらりぽつり融け   来夏

すやきん けいじ 逆選:健介 

けいじ:今回は採る。
すやきん:情景が浮びますねえ。四国には雪がほとんど降らないので雪を見ると感動します。
満月:オノマトペを使うのはむずかしい。これだけ並べて一句を成そうというからには、いくらなんでももう少しオリジナリティのあるオノマトペや音感の組み合わせ、リズムなどで構成できなかったのだろうか。芸未満。
またたぶ:音遊びにしても既製のオノマトペだけじゃねえ。
帽子:いるんですよね、こういうこと書いて先生騙して喜ばせる小学生。俳句子役と呼んであげよう。ま、この手に騙される先生も先生なんですけどね。
健介:何となくもう少し真面目に作句して欲しいという感じが(この句を読んで)したものですから……。私が言い掛かりを付けているとしたらごめんなさい。

魂は売らずに残す雪見酒   城名景琳

二合半 すやきん 逆選:姫余

姫余:つくり過ぎでは・・。
二合半:なんか突き放した感じのする文句と、しっとりとしたムードを感じる「雪見酒」との呼応に惹かれました。
すやきん:思い出します。私の母は四国の道後温泉で旅館の賄いをやっていました。息子(私)を育てるために、一所懸命働いてくれました。そんなことを何故か思い出しました。
満月:類想類句がゴマンとありそう。ごく一般的な「俳句らしい句」。姿は整っているけどどこかちまちましてしまう。
帽子:ご本人はこれ、カッコいいつもりなんでしょうね。

1点句

龍姫となりて血を吐く寒椿   神山姫余

あずさ 

満月:龍姫ってなにかに出て来るんでしょうか?血を吐く人?もしかして竜田姫のこと?それだと紅葉の秋だけど。この句、椿と言えば赤い、赤いと言えば血、血と言えば竜田姫・・までは言わないにしても、ほとんど「椿がすごく赤い」ということしか書いてないような。
帽子:激しいロマンティシズムを狙った? 正直、慌しすぎて笑っちゃったんですけど。
あずさ:龍姫の背景が分からないのだが、龍田姫ではなく、単なる龍姫というお姫さまとして読んだ。<寒椿>と<血>の赤は、赤と赤の対比を見せてくれた。この二つの赤は違う色なのだ。

夜叉孫を腕に抱きて月の香   山口あずさ

斗士 

斗士:生きてきた年月に呼応している「月の香」。かたちのいい句。
満月:<夜叉孫>を初め現実的に受け取って興ざめだと思ったが、読み直してみると、小さな赤ちゃんが亦、夜叉でもある、というのはなんだか凄まじい話である。そしてそこから月の香りがするのだ。いっそ「小さな夜叉」とか「夜叉の嬰」とかだったら絶対採ったのに。
帽子:舌足らず。

屋上の鉄柵凍てて海路かな   桜吹雪

谷 

谷:位置と視線の転換が書けている。でも平凡。
満月:<屋上>から<海路>への転回がうまくいっていない気がする。<凍てて>が問題だろうか。
帽子:下五がちょっと唐突で、いまひとつ雰囲気が把握しがたい。

長い影浜から浮いて寒海へ   明虫

来夏 

来夏:影が落ちずに、浮くのはよいと思います。でも、ちょっとあざといかも。
満月:寒梅かと思った。<寒海>は言葉として無理がある。これも「何が何して何とやら」的。切れていず(句切れがないということではない)一句としての完結性が弱い。<寒海>が「寒梅」だったら結構この世(現実の論理)から切れられたのに。
帽子:「寒海」って知らない。寒潮か冬海ならあります。

鬼やらひ宙で豆とるマルチーズ   後藤一之

谷 

谷:マルチーズも豆を食べる。明るい。楽しい。
満月:なんでマルチーズなの?実際にそうだったからというのでは俳句以前、詩以前、創作以前。
帽子:そんな、ホームヴィデオみたいなもの句にされても。
健介:場面を思い浮かべるとカワイいんだけど、何か事故が起こらないうちに、もうされない方が宜しいように思います。

わけいってもわけいっても吹雪ゆく膝   桜吹雪

夜来香 

夜来香:吹雪の中を分け入っていく、と、訳言って弁解しても状況が厳しくなっていくというふたつの世界が覗けます。膝と言わなくてもよかったのではないか、とも思えますが。
満月:これほど有名な句を本歌(句)取りするのならそれ相応の覚悟というものが必要だろう。<膝>の意味するところが問題だ。たとえば女遍歴!だとかに焦点をしぼって思い切り「俳」するとかしないとこの上句に勝てない。
またたぶ:はんぱなパロディは痛々しい。 
帽子:山頭火のカヴァーヴァージョンとしても調子が低すぎる。

ダイヤモンドダストくちづけの視野へ降る   室田洋子

青 

満月:<視野へ>がどうしても気になる。登場人物はダイヤモンドダスト氏で、誰かがくちづけをしているその視野に向かって降ろうというのか。<降る>もだめ押し。
またたぶ:いかにも。自己陶酔演出。
帽子:「ダイヤモンドダスト」はそうとう気温が下がらなくては起こらない現象ですが、ご心配なく。この句は「ダイヤモンドダスト」が起こるくらい寒いから。この選評を書いている週のユーミン575のお題が「KISSのある風景」。そっち出せばよかったね。
健介:「降る」なんて要らないと思う。「視野へ」は<視野に>とした方が好いのでは。

いきなりのあかあをきいろ雪散歩   夜来香

姫余 

姫余:「いきなりの」という言葉を上五にもってきたことがおもしろい。
満月:雪の中を散歩に出たら信号に会ったって?なにかもっと芸をしてほしい。<雪散歩>は言葉が無理。
帽子:「雪散歩」が無理矢理すぎ。

淫行や小林秀雄雪払ふ   あかりや

またたぶ 逆選:一之 

またたぶ:「淫行」を使うという意欲が買い。「や」で切ってあるが、「雪払う」ことが「淫行」なのかもと考えるとおもしろい。
満月:えっとぉ、小林秀雄と淫行の関係がわかりません。ごめんなさい。でもなんだか潔癖な紳士が「淫行」という言葉を耳にしただけで服を払うような映像が浮かんだ。ノナカカンボーチョーカンも真っ青かも(^^;
帽子:固有名に甘えすぎてほかの部分がややお座なりだけど、戦略を評価したい(うわっ、偉そうな言いかたでごめんなさい作者の人)。小林秀雄と中原中也と長谷川某女とのくだらぬ三角関係を、さも文学的意義のある事象として持ち上げる輩がいるが、しょせんは安い三角関係なのである。

すのうきゃんどるあやかしと過越(すぎこし)と   田中亜美

景琳 逆選:ぴえたくん 

景琳:SNOWすのうすごうのう!・・!驚異。
ぴえたくん:片仮名で書くべきところを平仮名で書くのは諸刃かもしれませんね。この平仮名表記は苦手です。ぴえ、えらそーだぞ/(・_;\バーシバシッ(゜゜;)バキッ☆\(--;)/(・_;\☆\(--;)
満月:めずらしげというか主張する言葉ばかりを並べ立てた感じ。頭がばらばらになっただけで終わった。
帽子:たんに冒頭7音のひらがな書きが気持ち悪い。後半には確かな戦略も技術も感じるが、好みではない。


その他の句

きらきらと頬にとびのる雪の精   miwa

輝:擬人化になみなみならぬ才を感じる
満月:どうにもおさなすぎる。「俳」はオトナのブンガクだと、私は思う。
またたぶ:「頬やら睫やらに雪が積もる」のは俳人が一度は詠んでみたくなるはしかのような描写。オリジナルへ進もう。
帽子:いるんですよね、こういうこと書いて先生騙して喜ばせる小学生。俳句子役と呼んであげよう。ま、この手に騙される先生も先生なんですけどね。

君が代を歌う知事あり水仙花   けん太

満月:<水仙花>は取って付けた取り合わせに感じる。この知事にかなり好意的であるようには伝わるがそれでいいのか。
帽子:ただごと。それともなんか例の法律がらみでなにか言いたいのでしょうか(そっちの可能性のほうが寒い)。

雪吊りや乱れし髪も手で拭い   すやきん

満月:雪吊りを見て髪を直さなきゃいけないと思ったとか?「俳」以前。
帽子:「も」が恥ずかしい。

お道をと、馬と帽子と雪女   摩砂青

満月:上五はなんなんだろう。なんだか馬車に乗った帽子の女性がそこのけそこのけで通っているような。それにしてもよくわからない表現。けど悪いというわけではない。このヘンさかげんが立派に「俳」だと思う。なんで読点はここに?
帽子:変な雰囲気は買いだ。でもほんとのところどうなんでしょう。もっと押しが強いといいかも。
つっこみ!
ぴえたくん:全然わからないのに、妙に情景が目の前に広がります。「お道を」って何だろう? 馬と帽子で、馬の背に揺られている綿帽子の花嫁さんが連想されます。で、綿帽子から真っ白な雪女にイメージがひろがっていく。だから、「お道を」は花嫁さんの通る清浄神聖?な道? 作者さんの真意を聞いてみたいなあ。。
薫:歌舞伎の一場面風。ヘンな雰囲気で食指が動いた。、中七下五が詰め込みすぎの感じがしたのですが、私も作者さんの真意が気になります。

ビル街の空の烏に細雪   秀人

満月:烏は空にいて別に当たり前。烏の黒と雪の白を対比させるくらいじゃ面白くも何ともない。ビル街の烏に雪が降ったところでそれが細雪だったところでなんの面白みも感じない。
帽子:ただ語が並んでいる状態。

ワルツなら踊ってみよう雪洞ん   ぴえた

満月:これ、全然わかりません。
帽子:鳴かぬなら鳴かせてみよう…。
健介:すみません、「雪洞ん」ってどう読むんですか?

招かざる雪が天から降りてくる   志摩輝

満月:雪が嫌いなのに降ってきた?それだけ?俳以前。
帽子:「雪降ってヤだ」を中途半端な文語や「天」などという大袈裟な語を使って言いなおしただけ。

ひとひらの吹雪残してあいつ去り   林かんこ

満月:中途で終わって一句が完結していない。<あいつ>も読者が想像できるように書いてくれないと、私などは句から放り出されたような気になってしまう。勝手に酔わないでくれ。俳句未満。
帽子:「あいつ」。J-POP世代の読者のために解説しておくと、1970年代の演歌ロックから80年代初頭の歌謡曲で使われた三人称単数代名詞で、しばしば男性をさすことが多い。「あいつ」という語を使用する主体を示す一人称単数は、「あたい」(女)あるいは「おいら」(男)です。

小雪くる立食パーティーに行く顔に   明虫

満月:は、そうですか。記録。
帽子:卑しいただごと。

蕎麦道場おろしも自前で雪帽子   すやきん

満月:判じ物。<蕎麦道場>は想像はつくけど不親切。でもせめてこれで一句、雪帽子で一句。<おろし>は・・・???
帽子:「も」が恥ずかしい。

初雪や紅茶に浮かぶミレニアム   秀人

逆選:けいじ 

帽子:三題噺。
けいじ:ミレニアム嫌い。紅茶にミレニアムが浮かんでたらカップごと叩き割ってくれる。
満月:ミレニアムって?この紅茶には何が浮かんでいるんでしょうか?初雪、紅茶、ミレニアム、イメージが分散してしまった。

訣別を踏み越えてなお雪苦し   小島けいじ

逆選:帽子 

帽子:ドラマな決まり文句を並べて背後にドラマを想像してもらおうという手ですね(悪寒)。
満月:すべての言葉が、作者が感じたことから独自性を持って選ばれたものでなく、すでにあった言葉や表現から持って来られた感じ。<訣別><踏み越えて><雪苦し>・・・最後は「酒が苦い」の雪バージョンに思える。かたちはかっちりしていても、中にがっちり掴める実体がない。具象表現でなくともくっきりしたイメージでもいいのだけれど。

親が燃えかまくらつくり子は一歳   miwa

逆選:満月 

満月:子育て日記用メモの断片?「何が何して〜」型+オチ付き。俳句以前。詩以前。文芸以前、創作以前。そういう現実があったことはわかりましたが、句のネタは他で探して欲しい。私にはめずらしいかもしれない正当派逆選。つまり、逆選を入れる価値があるとかいうタイプではなく、本当に一番どうしようもないと思った句。
帽子:意味不明。
健介:いわゆる“親バカ”などと揶揄したいという気持ちは私にはありません。ただ、句として<要因+結果プラス“オチ”>という展開なのは好ましくないとされます。この場合もそれに当てはまると思います。“たま・ひよ”のCMのようで面白いとは思うんですけど……

口説いても肯いてくれない女なら   志摩輝

逆選:斗士 逆選:景琳 

健介:どうだっていうの?
景琳:イタリア人男性のようになにがあっても、口説こう口説こう。
斗士:何が言いたいんだろう?
満月:句以前。「俳」もなければ詩もない。文芸の「芸」などさらにない。一句が世界を完結しようとさえしていない。これから下に七七などがついて長い詩になるのか?どうしようっていうの?
帽子:リズムも悪ければ内容も情けない。肯いてくれないなら強姦するというのか。それとも諦めるのか。
あずさ:□(しかく)説いても、だったら面白いかも。異次元の辻説法か?