第23回 青山俳句工場向上句会選句結果

(長文注意!)

2000年5月1日、青山俳句工場HPはリニューアルし、引っ越しを完了しました。
向上句会でもおなじみの満月さんがデザインを一新してくださいました。
この場を借りて御礼申し上げます。

向上句会とりまとめ:山口あずさ   


投句:宮崎斗士、千野 帽子、城名景琳、白井健介、後藤一之、満月、凌、いしず、朝比古、谷、明虫、またたぶ、けん太、足立隆、杉山薫、いちたろう、室田洋子、摩砂青、ぴえたくん、村山半信、(h)かずひろ、山本一郎、すやきん、秀人、秋、古時計、志摩 輝、鬼灯、万作、小島けいじ、しんく、田中亜美、風子、来夏、山口あずさ


全体的な感想

またたぶ:私見ですが、「や」は前後を切る形式です。前と後ろは互いに別の(離れた)ことを扱うのが基本だと思います。意味の上で切らずに似たようなことを並べて「や」を挟んで成功させるのは難度の高い技です。作品リストの「や」は確信犯(意識的挑戦)というより無自覚に見えるものが多かったです。ってえらそうに何様だ>自分
満月:今回、採った句の感想だけにとどめた。なんだか疲れたのだ。ごちゃごちゃ言ってる自分自身、いやになった。ひたすら自分の句作を充実させていこう。全体のレベルは最近の低調からはやや脱する傾向。
一郎:数ヶ月ほど俳句から離れていて(今も復活しているわけではないのですが)、今回やっと参加することができました。日ごろの自分の主張とは裏腹に、文語・古語を使ってあります。もう少し推敲して、現代語の俳句にしなくてはと思っています。
朝比古:一句を読んだ後「はいはい」「ふーんそれで・・・」と思わず言ってしまう句が多かった。春だからだろうか。
ぴえたくん:選句していると、この作品は短歌的なのかもしれない、と躊躇するようになりました。でも、やっぱり避けられない。よーし、次の「猫」に賭けよう。
いちたろう:選ぶのに苦労しました。ぼくは「意味」を読み取るのが好きです。理解不能なものに対してすぐ批判的になることもありません。できるだけ意味を見出したいと思っています。それにしても、、、今回は自分の読み取り能力が絶不調だったのか、あまり感動することができませんでした。ちょっとさみしかったです。
けいじ:前々回の自分の"やっちまった感"から中一回の反省期間を置いての投句です。前々回では偶然か必然か、両句とも満月さんと帽子さんにコメントををいただき、それが大変参考になりました。自分の最近の句の何がおかしかったのかがおぼろげながらに見えた気がします。私の俳句も、日本の景気のように“先月が底”だといいんですが、さてどうでしょう。
景琳:うけを狙わないそんなつもりで,受けちゃう様な作品選んでみました。....他にも俳句として立派なのもあったが....今回はこれでまとめます。
半信:もっともっと想像力ゆたかな句を見たいな。
秀人:春は俳句王国からそよ風とともにやってくるのでしょう。前回よりもよい句がそろっているように思います。でも、(自分の作品はさておいて)少し乱雑なものがあるのが気になりました。もうちょっと、推敲してくれてもいいのかなと思うような句がいくつかありました。
(h)かずひろ:粒選りの作品が多く、今回も選句に悩みました。
健介:あらためて言いたいことは特にないですが、特選と逆選に今回は迷いました。
:所詮はコトバ遊びであるが、コトバが滑っている作品が多い。自分の作品もそういうことが云える。選を狙って投句することよりも、自らのスタンディングポジションのはっきりした句をつくって行きたい。が、これ中々難しい。
:残念ながら、やっぱり低い蝶なんだろうか。
:これだけでなにやら妖しいお題、書。妄想はふくらむ一方だが一句にするのは案外難しかったのでした。
来夏:一度選句したが届いてないようなのでもう一度選句した。最初のときと少し違っているが、今回の選句のほうがよいと思う。私の句を含めて、入選に5句も選ぶ必要性を感じないがいかがなものか?今なら入選を3、逆選を2にしてもらいたい。逆選を選ぶ苦労は、入選を選ぶ苦労に比べればたいしたことではない。本来なら逆選対象の句が10はある。
:俳句を読むのがだんだん面白くなってきて、本屋で俳句を探すんだけどつまらないのばっかり。しかし本当は本屋にある俳句が正しくて、私はここで毒されているんだろうと思う。でもまあいいわ。もともと俳句は言葉の毒だと思っているから。
万作:詠むのも、読むのも、楽しいです。みなさま、サンキュッです。

11点句

まだ私楷書体です春卵   いしず

特選:来夏 特選:一之 谷 秀人 古時計 薫 輝 けん太 (h)かずひろ 逆選:あずさ 

(h)かずひろ:食べてしまえば同じ・・・とはいえ。
けん太:「楷書体」と「春卵」は同じベクトルを向いている。それが嫌みなく感じられるのはボクだけでしょうか。ただ、「まだ」は理屈っぽい。
秀人:楷書体=まじめ=処女=崩れていない=卵 なるほど、納得のいく方程式手馴れたアルゴリズム。ハルタマゴ耳元でふる孫娘
谷:「まだ」が気分のおしつけであり甘えであろう。「春卵」がよい。
帽子:この<私>はちょっと苦手。<春卵>は造語か?
薫:インパクトある。春卵への着地も楷書体の硬質と卵のすべすべ感とが相乗効果。
来夏:堅さの残る新社会人の感じがよい。楷書体という言葉には行書、草書と徐々に崩れてゆく(なじんでゆく)変化を暗示させる力がある。「春卵」には賛否があろうが私は気にしない。
古時計:楷書イコール若いんだね。
あずさ:<まだ〜です><楷書体><春卵>同じようなものばかり並んでいるのでは?
つっこみ!
あずさ:最高得点句に逆選を付けてしまいました。同じようなものばかり並んでいると思ったのですが、今読み返してみると、楷書体の角張ったかんじと卵の曲線。春という文字から受けるさわやかな印象と、卵のなま暖かい質感。たしかにそれなりに響きあっているのかも。
一郎:私も、あずささんの最初の印象と同じく、未熟さや若さを、「まだ」「楷書体」「春卵」という言葉で言い表したということ以上の響きは感じません。驚きも発見も感じませんでした。それはそうと、楷書体って、篆書、隷書、草書、行書を経て、一番最後にできた書体だそうですね。いわばもっとも洗練された完成品、集大成の書体。それなのに、そんな感じがしないのは、楷書体の持つかちっとした雰囲気と、楷書体から習うという習得順序からなのでしょうね。
凌:これ「まだ私楷書体です卵です」に「春」がくっついているだけのような気がするけど・・・。
あずさ:クリーンつっこみ!ですね。でもこの<はるたまご>あるいは<しゅんらん>、ま、<はるたまご>だとは思いますが、この語は発見かも。春って発情期でもあるわけだから、卵は当然といえばとうぜんなんだけれども、卵と言って、もっともなじみのある鶏卵そのものは、春という印象がない。あの透明な白身の中にぽかりと浮いた黄身。色濃く「生命」しているわけだけれども、それだけにたいへん生々しい。育ってゆけばあの一見かわいらしい黄身の中に毛細血管が浮かんでくるわけだし。。。となるとこの未熟者、侮り難しということか。


10点句

亀鳴くや癒し女優と人は言ふ   しんく

特選:斗士 特選:けん太 特選:けいじ 谷 健介 いちたろう あずさ 

いちたろう:亀って踏んづけられたような声出すんでしたっけ?鈍そうなところと癒し女優のほのぼのさが似ているっていうこと?それとも亀に比喩されるものが女優を求めて鳴いているというのでしょうか?亀が鳴いてる感じも、「人は言ふ」様子もどこか目線が違うところ向いてそうで、他人事っぽくて力抜けてて、やすらぎます。う〜ん、まさに癒し系の句。
けいじ:最近癒し系と呼ばれる物が急に増えましたね。そんなに癒される必要の無さそうな人たちも癒されたいと思っているのは不思議な話ですが。"癒し女優と人は言ふ"言うが事実はどうなんでしょう。いかにもつくられた癒し女優と亀の鳴く声との組み合わせも個人的に好き。
けん太:「亀鳴く」とは春の気持ち、情念の言葉。「癒し女優」との取り合わせが、意外にしっくりいくのに、感心しました。なんとなく寂しい春の日を表現していると思います。
谷:このような作品は断定する強さが欲しい。「人は言ふ」はとことん駄目と思う。
斗士:「癒し女優」ってよく言われるけど、本当の私って。。女優ならではの複雑な心象と「亀鳴くや」との取り合わせが鮮やか。アンニュイさが心地良し。
帽子:季語が合ってるのかな。合ってるんだろうな。なんとなく「だがわれわれは愛のため戦い忘れた人のため」と続けたくなるが。
健介:“どのような物事に癒されるのか”は人それぞれに違うと思うので、この「癒し女優」というのも読み手によって思い描く“ひと”が違うでしょうが…
あずさ:悲しい女優だ。癒しを売り物にするのは、やはり一抹の悲劇性を感じる。
つっこみ!
あずさ:優しさの時代と呼ばれた時代に、わたしは「優しさ」を嫌ったが、最近「癒し」がだんだん嫌いになってきた。きっとこの女優は、胡散臭い人間に辟易しているに違いない。
凌:「癒し女優」ってどこかで共通している言葉ですか。たとえば演技もないし「癒し女優」という語感からはもう若くはない、男たちを癒すためだけの女優さんとか・・。それも「人は言う」だから自分はその自覚がない。自覚はあっても自分では認めたくない・・とか。私はスケベだからAVの女優さんをすぐ想像してしまったんですが、勿論違うでしょうね。ごめんなさい。でも「亀鳴くや」ですからねえ。
あずさ:亀鳴くやというのは、どんな音を想像するのが本当なのでしょう?わたしにはよくわからない。。。またちょっと脱線しますが、「セックスワーカーの労働権要求運動をめぐって」(※関心のある方は「じぶんでじぶんをしつける辞典」エッセーへどうぞ。http://onlysky.info/dictionary/)というシンポジウムを見に行ったときに、元ポルノ女優だった方が、AVギャルと呼ばれる時代になって、演技ができる人はいなくなってしまったとおっしゃっていました。演技でなくなった段階で、ある種の「文化」からはおさらばしたのでしょうね、あの業界は。わたしはこの<癒し女優>は、かなり演技のできる女優さんを想像しました。むかしむかし、美保順さんが、薬師丸ひろ子さんと一緒にインタビュー番組に出ていたことがあって、かなり痛々しい印象を受けました。いわゆるヒロインではなく、汚れ役の似合う女優さんなんじゃないかと思ったのです。


9点句

朧月まだ探偵が出てこない   千野 帽子

特選:健介 特選:(h)かずひろ 谷 秀人 輝 一之 凌 

(h)かずひろ:追っているのか、追われているのか?恐れているのか、期待しているのか?朧月は恋心にも似て・・・。
またたぶ:上五と下の間に「朧だから」などの理屈が発生しかねない。
秀人:ロンドンの霧は深い。フルムーンである。帽子をかぶりトレンチコートを着ている男。パブのドアが軋みつつ開き、男が月光の下に出ようとしている。
谷:「探偵」が生きている。こういう言葉が俳句になる面白さを思う。
健介:一読したインパクトはさほどでもないが、何度も読むうちに次第に味わいが深まっていく感じ…そこがこの句の魅力、かな。
あずさ:サスペンスの朧感がよく出ている。
凌:テレビドラマ的な軽いノリで、俳句もここまで遊べるのか・・。
つっこみ!
あずさ:確かに楽しい句ではあります。採ってもよかったのですが、奥行きを感じなかったので、選外になってしまいました。

8点句

後ろ手の麦踏の人栞にす   秋

特選:隆 特選:しんく 朝比古 青 またたぶ いちたろう 

いちたろう:「後ろ手」はまわりに敵がいない証拠。「麦踏」は嵐じゃない証拠。のんびりとした時間があって、平和だ。作者の視点は、その「人」と隔たりを感じているのか?その「人」の視点は作者を見ていないだろうし、作者もその「人」と目を合わせていないのでは?だからあえて「栞」にして、しっかりと掴み取ろうとする。そしてその感覚に、ぼくは共感する。
またたぶ:「す」まで言わなくてもと思うが、麦踏が飛び出す絵本みたいに立ち上がる光景とか、もっと抽象的にも読めて楽しい。
朝比古:麦踏という辛い農作業行為と栞という乙女チックなグッズとの取り合わせ。狙いが見えてしまっているのはもったいない気がするが、そこそこ癒される心持にしてくれる句。
帽子:下五の展開が面白い。そういう名画絵葉書を栞にしました、というオチだったら許せないけど。
青:ミレーの麦踏みの人か? と思うと、見えてきてしまう。
しんく:こんな栞に似合う本は何だろうか?
つっこみ!
あずさ:わたしもミレーの絵を思い出した。あと、芭蕉に<人を栞の>句があったような気がして、調べてみた。<秣(まぐさ)負う人を枝折の夏野哉><馬草刈る人を枝折の夏野哉>の二句がでてきた。栞と枝折はちがうけれども、やはり目印という意味では同じだろう。
またたぶ:あずささん、お手柄?ですね。 芭蕉もだてに俳聖じゃないんだなー。
あずさ:はい。わたしがこの種の「つっこみ」を入れられるのは、たいへん稀なことです。^^!


7点句

柳絮とぶ水のむこうにある原書   満月

特選:朝比古 薫 一郎 洋子 帽子 半信 

またたぶ:「柳絮」と「原書」は結構好きなんですが、もう少し手がかりが欲しかった。
一郎:「水の向こうにある原書」という表現が気に入った。でも、「川底に古文書はまた産卵す」(中村安伸)とイメージ的に重なるので気になった。
朝比古:「水のむこうにある原書」琴線に触れました。「とぶ」と「むこう」に若干の因果関係を感じてしまうのですが、柳絮の軽やかさはなかなか好ましいと思います。
半信:すこし気どりすぎだが、美しいものを感じました
帽子:<原書>の使いかたが面白い。<柳>だからこの<水>は川とか堀とか池なのだろうが、それはそれとして島国日本では<原書>はつねに<水>(=海)の<むこう>からやってくるものなのだ。
薫:季語が効いている。「むこうにある」がもうすこし具体的だとさらに私の好みだ。
つっこみ!
あずさ:チノボーさんが、島国日本では<原書>はつねに<水>(=海)の<むこう>からやってくると書いていらっしゃいますが、わたしは同じ理由で採れませんでした。

叱られし子のふらここを見てゐたる   朝比古

特選:万作 特選:秀人 輝 一之 隆 

またたぶ:地方紙の俳壇の巻頭を飾っていそうな句。
秀人:叱られた子がしんなりとブランコを漕いでいるのか、叱られた子が誰も乗っていないブランコをじっと見つめているのか。しゅうせんの乙女の袖に風踊る
帽子:技術のある人が作った無自覚無反省な惰性俳句。谷内六郎の絵が好きな人は好きなんだろうけど。先月も言ったが<ふらここ>は嫌い。
万作:気持ちが、ふっと浮かんできます、親としても子としても。「の」を「や」にすると、スタイルが決まりますが、いかが?
つっこみ!
あずさ:これはわたしはあまり面白くない。モチーフも表現も凡庸。
凌:確かにそうだけど黛まどかの句よりずっといい。<ふらここに次々灯もる窓明り しやぼん玉吹いて淋しくなりたくて>
あずさ:黛まどかと聞いて一句できてしまった。。<叱られし子のふぐりを見てゐたる>

ぱんの木ぱんの木と書いて疲れをり   摩砂青

特選:ぴえたくん 斗士 一郎 またたぶ 満月 半信 

一郎:確かにそんな気がする。
ぴえたくん:このパンの木の平仮名は好き。こころが破裂していく音が聞こえそうな「ぱんの木」のリフレイン。疲れてるのは、「ぱんの木」と書いたからじゃないよね。。
またたぶ:阿部完市入ってる。弟子の方でしょうか。
斗士:「ぱんの木」のある風景においては、確かに肉体疲労をともないそう。想像力の豊かさに一票。
半信:その気持ち、よくわかります。
帽子:自分の胸に手を当てて考えた。繰り返しを含んだ句を作るときは、どこかで読者に甘えたいと思っているのだ。反省。にしてもこの句は悪くないと思う。
満月:ぱんの木といったってパンが実るわけではありません。何をかくそう、ぱんの実が実るのです(^^;。サツマイモ状なんだそうな。この人物は何故に「ぱんの木」と二度も書かねばならなかったか。しかもそれが故に行かれて。ノンセンス感が好きだ。
つっこみ!
あずさ:パンのき【−の樹】(breadfruit tree) クワ科の常緑高木。原産は熱帯太平洋諸島。高さ約10m。葉は大形掌状で3〜9裂。雌雄同株。雄花は円柱状の肉穂花序をなす。果実は表面に突起のある大形、楕円形の集合果で、澱粉が多くサツマイモ状。生または煮て食用。(広辞苑第 五版より)とのことです。誰か食べたことのある人いますか?
以下に、ぱんの木の画像が掲載されています。
http://www.si.gunma-u.ac.jp/~aoki/BotanicalGarden/HTMLs/pan.html
以下は、実がなった画像です。
http://rum.interlink.or.jp/~chofu/photo/pan.html

6点句

出雲にて金魚のみみのみみかざり   鬼灯

特選:凌 特選:帽子 青 明虫 

帽子:<金魚>の句が出るにはちょっと早い時期ながら、<出雲>にやられてしまった感じ。この句は自分が作るべき句であった。作者に嫉妬を覚える。
明虫:金魚のチマチマした華やぎが語感から伝わりました。ただ出雲の必然性が出ていないのでは?また「にて」が散漫な感じがしました。
あずさ:『日出処るところの天子』の聖徳太子の耳飾りのようだ。
凌:「みみのみみかざり」とテンポにのった語感もいいけど、それよりも夜店ででも売っているような幼稚で安っぽい金魚とみみかざり、というか、ミーハーそのものの金魚が、およそ不似合いな「出雲」を泳いでいる感じ。ただの地名にすぎない「出雲」に奇妙な可笑しみがただよっている。
青:金魚のようにあでやかな乙女の耳かざりと思いたい。
つっこみ!
またたぶ:こんにちは、またたぶです。直感で「いい」と思う句に説明を求められると「とほほ」だとは思うんですが、教えてください。
「金魚のみみの耳飾り」というと1.金魚が耳に飾りをしている、と2.「金魚のみみ」状の飾り、という2つの解釈しかできないのです、頭の硬い私には。
支持された方は何とも限定せずに、語感だけを買われたのでしょうか。(「出雲」と「金魚」の出会いが大ヒットなのは私にもわかります。)
上2つのどちらでもないとするなら、意味のないダブりのような気がするんですが。反論お待ちしてます。
凌:この句を特選にするための理由づけとして勝手な解釈らしきものをつけましたが、書きながら句とどんどん離れていくような気がして、これは、好きな女の子には「好き」だけでいいのに、好きな理由をあれこれ喋っているうちにだんだん欠点が見えてしまう時に似ていて、変に解るより、解らない、あるいは解らないふりをする方がいいのかも知れません。
あまり頭の硬くない私は細かいことは気にならなかったけど、やっぱり「金魚の耳」の「耳飾り」でしょう。
語感で採りましたが、語感に誘われたのは「出雲にて」のおかしみではないかと思っています。この句の状況からは意図的で突飛な印象を与える「出雲にて」ですが、特に「にて」に「おかしみ」が凝縮されているように受け取りました。何故「にて」におかしみが凝縮しているのかはうまく説明できません。ただ句の内意というか、意味はどうでもいいんです。
またたぶ:ムリを言って相済みません。おかげさまで「にて」の語感については共鳴できます。意味はもはやどうでもいい(←過言?)ですね。
ただ、「みみ・耳」と重ねることの効果が未だに気になってます。「ぱんの木」の句でチノボーさんがコメントしておられたように、リフレインは毒にも薬にもなる(だいぶ違うか)と感じますので。
山口あずさ: 金魚のミミ、というのはどお?^^!わたしは金魚の耳の耳飾り、と最初思ったのです。金魚って、聴覚はあるんだろうか?その意味的不思議さと、出雲&金魚から、「日出処るところの天子」発言になりました。「日出処るところの天子」って、山岸涼子作のマンガで、主人公が聖徳太子なのです。で、この聖徳太子はホモ・セクシュアルで、超能力者なのです。この句の不思議さが、このマンガ世界の不思議さと、わたしのなかで響きありました。
またたぶ:金魚のミミ、いいアル! その場合片仮名表記でなきゃね。
(あずさ:わたしは金魚の耳の耳飾り、と最初思ったのです。)
それは大いにフシギです。しかし金魚からどうやって「日出処の天子」へ飛ぶんでしょう?私も全巻そろえてるけどわかりません。
個人的には「あくび娘」を連想してしょうがありません。この方が納得いきませんか?(作者怒ってるかなー)シュワ〜、シュワシュワ〜
あずさ:<http://izumi.kokufu-hs.kumamoto.kumamoto.jp/bukatu/kingyo/siiku-m.html>金魚についてあれこれ載っているHPです。が、聴覚があるかどうかは載ってない。。。
某メーリングリストで質問したところ、魚類には内耳があるとのことです。また浮き袋が中耳の役割をしているらしい。詳しくは、電子ブック版 日本大百科全書:小学館等をお調べください。
帽子:(またたぶ:支持された方は何とも限定せずに、語感だけを買われた のでしょうか。)
基本的にはそうですが、受けた感じは強いて言えば、「金魚のみみ」に「耳飾り」がある、ということでしょうか。金魚。好きな季語なので、とつぜん点が甘くなってしまうのかもしれないけど…でも好きだからいいんだ。
またたぶ:その辺のとこを伺えて納得です。ありがとうございました。
帽子:「この季語に弱い!」と言ったとき、「弱い」には、
(1) つい、その季語を使った句を好きになってしまう
(2) つい、その季語を使った句を書いてしまう
(3) その両方
があります。ぼくのばあい、「いそぎんちゃく」や「月」関係(各季)は(2)、「金魚」「噴水」は(3)です。工場長は「酸漿(鬼燈)市」。
またたぶ:おかげさまでわかってきました。この句の第一印象が、昔初めて「白牡丹といふといへども紅ほのか 虚子」を読んだ時のと似てまして、「ちゃきちゃき言わんかい!」的まどろっこしさを感じてしまったのですが。
ただの「金魚の耳飾り」だったら限定されてしまって、広がりも何もあったもんじゃない。これは計り知れぬ高等戦術だったのかもと今思い直しています。皆様ご示唆ありがとうございました。

茂吉忌です書類整理をいたします   満月

特選:谷 青 薫 しんく 洋子 

谷:この口調は気取り過ぎで嫌いだが、こう書かなければ出てこない面白味があるのも事実。上手い作品。
帽子:病院を畳むのか?
青:整理好きなんですか? 日本人だなー。
薫:ですます体の句は採りづらい。が、これ、モキチキという音がですますと合ってておもしろい。モチツキでもおもしろいが。
しんく:写生の上手な茂吉だからこそ、あえて報告調の文体にしたのだろうか?

春雨や裸眼なりの愛し方   田中亜美

特選:半信 特選:一郎 いしず (h)かずひろ 逆選:秋 

(h)かずひろ:春という季節には倦怠期の予感もある。
またたぶ:「裸眼なりの愛し方」には一味あると思うのだが、上五とどうしても頭の中でつながらない。
一郎:「裸眼なりの愛し方」という言い回しがおもしろかった。なんかよく分からない俳句ではある。
秋:「裸眼」って普通のことでしょう?どんな愛し方かよく分からない。
半信:「春雨」と「裸眼」の取り合せがいい。「愛し方」がセクシー。
帽子:中七の字足らずがダサすぎる。6と7の区別は指折ってでもしてほしい。それとも<裸眼>にべつの読みがあるのだろうか。
健介:この句の場合には、この“字足らずは気になります、私は。

5点句

書留が菜の花畑通り過ぐ   朝比古

特選:いしず 斗士 古時計 一郎 

一郎:シンプルでさわやかな句。童話っぽくて楽しい。
斗士:心のこもり具合を「菜の花畑」で表白。かっちりとできている一句。
帽子:合格通知かな。カードの更新? 句の作りとしてはやや安易というか無責任ながら、<菜の花畑>のせいか読後感は気持ちいい。
古時計:通り過ぎるのだから他に行ってしまう書留がうらやましい

佐保姫の夜は紫色の馬   後藤一之

万作 健介 ぴえたくん しんく いちたろう 

いちたろう:奥深く秘められたものとしての「姫」とあらぶる力としての「馬」の対比、秘められた「姫」とすべてが隠れる暗闇の「夜」との類似、「紫」と「夜」の関係。そして「姫」と「馬」との関係に、秘められた強いものを感じて、バランスがいいのでは?と思います。
ぴえたくん:ぬあんか、全然わかれへんのにひかれる。
帽子:こういう<馬>の使い方、よく見るのだが、どう読んでいいのかいまいちわからない。
健介:余計な説明をして却ってこの句をつまらなくしてしまうような野暮は避けなければと思うので…。
万作:訳を聞かれても、??ですが、気分で、納得。
しんく:「佐保姫」って名は誰がつけたんだろう?パラレルな世界では「紫の馬」という名がついてるかもしれない。
あずさ:姫が夜に馬では。。。しかも紫だなんて。。。性的願望俳句?

十、九、八、七、六、五、四、三、二、一、春!   小島けいじ

特選:景琳 特選:あずさ 来夏 逆選:凌

あずさ:2月か、3月の初め頃に読みたい俳句。当句会が3月25日投句締め切りであることから逆算すると、3月に詠んだ俳句なのだろう。この期待感!いいと思います。
景琳:お〜「0」ゼロも数えてチョオ。
帽子:筒井康隆歌集「カラダ記念日」(『薬菜飯店』所収、新潮文庫)に「一二三四五六七八九十十一十二十三十四」という短歌がある(区切って音読してみてください)。この俳句のほうは二番煎じだし、最後の「春!」は、はたで見ていて「しょっぱい」。先月別の句について述べた言い方を繰り返すなら、バブル期に森口博子・相原勇らにようきゅうされた「元気少女」的キャラクターの痛々しさだ。
健介:そういえば『タイムボカン』シリーズの新作が始まりましたね。関係ないか…。
凌:逆選を狙った?という感じもしないでもないけど「春!」は予定的すぎる。もっと思い切ってハズしてくれた方が読者は楽しい。
来夏:本来なら切り捨てる句。しかし、この句会にこれを投句した度胸を買う。厳しい意見が多いと思うが、自分の世界をがんばって欲しい。

いそぎんちゃくは他のお客様の御迷惑になります   宮崎斗士

特選:満月 特選:またたぶ けいじ 逆選:来夏 逆選:朝比古 逆選:景琳 逆選:一之 

けいじ:いそぎんちゃくなんて訳のわからないものをいきなり登場させておいて、それを何もなかったかのように、さらりと流し捨てるなんて素敵。
またたぶ:作者には不本意かもしれないが、えもいわれぬ風刺を感じる。拍手。
景琳:電車の中で,携帯かけてる人が「いそぎんちゃく」に思えて一番いいです。
朝比古:そりゃそうでしょうが・・・。
帽子:<いそぎんちゃく>もぼくは毎年この時期になると好んで使っているのでわかるけど、ほんと、こういう使いかたしてしまいたくなる語。<いそぎんちゃく>は「決まり文句」と相性がいい。
満月:さるサイトで流行中の「タイトル遊び」調。こういうコピー的なものは大好きだ。下手するとめちゃくちゃつまらなくなるんだけど、これはかなり俳的なのではなかろうか。
健介:いちばん迷惑しているのはきっと「いそぎんちゃく」だってば。
あずさ:これも好き。が、やはり誰かの手口に似ている。
来夏:べつにこれが取り分けて悪いわけではない。投句した心意気は買う。ただそれだけ。この句に内容はあるのであろうか?デパートの店内放送のようだが「投句は慎重に行ってください。他のお客様の御迷惑になります」という青俳の店内放送が聞こえそうである。
4点句

冥王星から書林書林昼寝覚む   秋

特選:明虫 いしず 半信 

半信:「書林書林」がオノマトペになっていて、面白い。
帽子:<書林書林>の語感の狙いが鬱陶しい。
明虫:遠くの天体からのメッセージを観測している人もいるくらいだから冥王星からのショリンショリンもあるかもしれない。それに天体と音楽や詩(書)って関係深いですよね。昼寝覚む、が利いていると思う。

稟議書に判ふえてゆくホトトギス   またたぶ

朝比古 健介 亜美 あずさ 

亜美:準特選句。うっとうしいが、どこか憎めない実直さが巧く表出されている。この愛すべき実直さ、律儀さは、鳥と同名の俳句集団にも感じてしまいます。稲畑汀子女史は、元芦屋市教育委員長だとか。2000朝日俳壇の冒頭の選者感想を読み、この句の感興がいっそう広がりました。
朝比古:「稟議書」に私は弱い。サラリーマンの宿命だろう。すこしずつ決裁権者に近づく稟議書。ホトトギスの明るさと憂いが結構いい。因みに私の好きな句で<決裁印待つ間泰山木の花  加藤容子>という句がありますのでご紹介しておきます。
帽子:<稟議書>をもってきたのはうまいし、<判>が勝手に<ふえて>いってるみたいで、無声映画の喜劇みたい。
健介:「ホトトギス」と片仮名にしていて“意味ありげ”なのが好かった。
あずさ:打倒!ホトトギス(って、わたしがだけか。。。)

また消してまた書いている朧かな   あずさ

特選:亜美 一之 帽子 

亜美:ゆるいリフレインの中に、屈折した心理がゆるやかに投影されている。時間と心情のふくらみが感じられる句。
帽子:上五中七、ひょっとしたら前例があるのかもしれないが、ここまで実体をなくして句を書くのはひとつの冒険心だと思う。願わくば「なにか具体物がほしい」などの評の出ないことを。

ひな菊を書き殴り我れ傷害罪   いちたろう

凌 来夏 明虫 ぴえたくん 

ぴえたくん:「ひな菊」は乱暴に書かないようにします。「ひな菊」と「傷害罪」の角度が好き。
帽子:<書き殴>るという語に含まれる比喩的な<殴>を字義へと回付させて<傷害罪>へ持っていこうとしたのだろう。そうすることでお題<書>を満たされる。さらに季語も入れてみました、って感じだろうか。にしては、まず<ひな菊を書き殴>るというのが語として格好悪い(まだしも「描き殴」ったほうがよかった)し、<我れ>も音数が余ったので入れました的お座なりを感じる。着想は談林のようだが手際が悪すぎて談林の洗練にはほど遠い。
明虫:ひな菊を書き殴る、という現実性が希薄なのが弱いと思うけれど、少女を殴れば罪になるのは現実です。
凌:「我れ」が邪魔なんだけどな〜。
来夏:昔、写真をとると魂が抜かれるという俗説が広く流布したことがある。書き殴るのは魂を抜かないので傷害罪どまりかもしれない。ただ、殴るという言葉だけに反応して傷害罪と持ってきたのではないかと思えるふしもある。ひな菊は弱そうなので、書き殴っただけでも魂を抜かれるかもしれない。その辺を突っ込んだほうが面白いかもしれない。

三号館書庫チェホフの青葉木菟   田中亜美

洋子 満月 谷 しんく 逆選:帽子 

一郎:いい句だが、書棚と青葉木菟とを結びつけた句が宮崎斗士さんの句にあり、減点。
谷:素材だけを並べているのだがすっきりと書き終えている。爽やかです。
帽子:短詩形ではチェーホフのことを<チェホフ>と書くみたいだけど、あまり好きではない(どっちが原音に近いかはともかく)。ましてこの句では<チェホフ>と書くことによって中七が字足らず。6と7の区別は指折ってでもしてほしい。ぼくのような詩歌音痴は、この「チェホフ」にかぎらず、前回今回ともに触れた「ふらここ」などには、「短詩形であることに寄り掛かった無自覚」を感じる。ところでチェーホフは中央公論社版全集が一番ですね。ちくま文庫版は初期短篇をカットしてるのでダメ。
満月:こういう正当派で端正で雰囲気もあって、というきれいな句を選びたくない心境なんである。が、しかし、チェホフに合わせるに「青葉」という情緒に流れてしまいそうな措辞でなく<青葉木菟>なんだし、「三号館書庫」とサ行カ行の多い漢字ばかりの一節を頭にすっと置いたとこなんざ端正で、くやしいが一票入れないわけにはいかなかった。
薫:青葉木莵は、「恋愛や」の佳句があるので書との取合せはかなり勇気いる。果敢に挑戦した作者に一票。句もカッコイイし。なんでチェホフなのかは謎のまま採りました。すみません。無知です。
しんく:芝居はあまり観ないのでよくわからないが、チエホフに青葉木菟という作品があるのだろうか?
3点句

春北風なぐり書きのようなあきらめ   室田洋子

特選:秋 明虫 

秋:詠まれている内容に新しさはないけれど、なぐり書きのようなあきらめという比喩に惹かれました。
帽子:「ような俳句」としても強引な部類。発想としては凡庸。
明虫:おおっとこれはまた、という感じ。なぐり書きとあきらめが鋭角で交差している。
あずさ:<ような>を使わずに書き直して欲しい。

寄せ書きのひとりひとりに椿かな   宮崎斗士

特選:洋子 けん太 

けん太:少し古い句です。でも、なにか気になります。「椿」はまだ木について咲いている状態なのですよね。それともポトンポトンとひとりひとりに落ちていくのかしらん?何かしら不思議ですよ、この句。
帽子:不吉。散らずにそのまま落ちるところから打ち首を連想され武家で忌まれたとかいうのは椿だっけ? 寄せ書きした全員が打ち首というか、一揆の連判状(寄せ書き同様放射状に書いてある)に名を連ねた全員がさらし首になっているような未来を幻視してしまう。
健介:どうして「椿」なのかなぁ? という印象です。

残されし父の書棚の解剖図   足立隆

来夏 秀人 一郎 

またたぶ:この構文では家族に出ていかれた父という読みが優先するが、作者は父から遺されたと言いたかったのでは?と気になる。
一郎:子供のころの父の書棚はちょっと得体が知れなくてスリリングであった。書棚というのぞき穴を通して父を見ているようだ。
秀人:夕陽が差す書斎。マホガニーの本棚に研究書、学会誌、医学大辞典、大判のアトラスが並ぶ。大きな机には「平家物語絵巻」の「壇ノ浦」のページが開かれている。 肉体の迷路まばゆしわがアトラス
帽子:こういう句にこそ季語があったらいいかな、とも思う。具体案はないが。
健介:「父の書棚」と「解剖図」の取り合わせだと、やや意外性不足か。
来夏:これが30男なら感慨の句であるが、幼少なら面白いと思う。まあ、幼少なら解剖図より医学事典のほうが興味あるかもしれないが。

へそくりを書籍に隠す春ららら   城名景琳

万作 しんく けいじ 

けいじ:うららとせずに"ららら"としたところ。自分だとうららとして失笑を買う場面。その点で取りました。句自体は面白いとはあまり思わないですが。
帽子:下五で気が変になっている。春だなあ。
万作:「ららら」が、いい!
しんく:「うらら」じゃなく「ららら」が成功かな。
あずさ:れれれ。

喧騒の塔やわらかき異国かな   山本一郎

帽子 青 亜美 

またたぶ:「やわらかき」まではおもしろいが、下五でもっと裏切ってほしい。
亜美:「やわらかき」が不明瞭だが、異国の地を踏んだときの、高揚の中にあるかるい離人感のようなものが巧みに表現されている。
帽子:<やわらかき><塔>。これくらいなイメージを提出してはじめて無季の必然性を感じる。ただ惜しいのは<異国>。ぼくには逃げのように思える。つまり<異国>だから<塔>が<やらわか>くても許される、みたいな逃げ。ちなみに<やわらか>い<喧騒の塔>というと通天閣や京都タワーを想起してしまう。
青:喧噪の塔とは? 全体の雰囲気にひかれた。

春夕焼とうとう赤ん坊釣れました   村山半信

来夏 満月 けん太 逆選:亜美 

けん太:シュールな句として扱いました。「赤ん坊が釣れる」夕焼けの色を想像しています。また、「とうとう」にこめられた意味をあれこれ想像しています。全体としてはうれしい句に感じたのですが。
亜美:モラルがどうのではなく比喩そのものが、ちょっと乱暴すぎる上に効いていない。或いは身篭った体感なのかとも想像しましたが、上述の感想の域を出ません。
帽子:谷岡ヤスジのようなのどかな不条理。
満月:リズムの崩し方が美しくない。<とうとう>がなければよかった。少なくとも<釣れました>が「釣れた」程度に抑えてあれば。でも、今回あえてこれを採る。内容の理不尽さに惹かれたから。ちょっと不気味な光景であることも好み。春の夕焼けと赤ん坊釣りは妙に合っている。
健介:新手のUFOキャッチャーか?なんて考えたら、さすがにこれはちょっとコワい。“伊勢海老”には、騒がれているほど私には抵抗なかったんだけど…
来夏:幾重にも解釈できるので選んだ。とり方は人それぞれでよいと思うが、解釈には傾向や性癖が出るのでここでは述べない。「てにをは」を省略することによる効果がうまく出ていると思う。

糸遊や恋といふ字を宙に書く   後藤一之

秀人 輝 いしず 逆選:ぴえたくん 

ぴえたくん:「いとゆう」と読むと、芸妓さんや太夫さんの名前に思えて、儚さが一層際立ちます。「恋といふ字を」がかなしい。
秀人:糸遊のさまが恋という字に見えたのか、糸遊を見ながら自分で恋という字を書いたのか。 かくだけで心ときめく花曇
帽子:陳腐の極み。<糸遊>などということさらな語も、いかにもこの中七下五を書く作者の気に入りそうなおポエムを準備してしまう。
つっこみ!
ぴえたくん:ちのさん、わたしはこの作品、陳腐だとは思いませんでした。花魁イトユウ太夫が瀕死の床でやせ衰えた腕をふらふら延ばして、「こひ」と宙に書いているのです。哀しくも切ない場面を思うのですが、勝手に糸遊を人名に解釈するのはまずいでしょうか? 哀しさや切なさもおポエムなのかな?
ここから単なる私語なので、お目汚しですがm(__)m
<点滴の容器揺れゐる春寒し>  
これはわたしの瀕死の作なのですが、自分でも陳腐だと思います。でも、室田さんが選んで下さっていたのでとってもうれしいのです(^.^) ねー室田さんっ、ありがとう!
思えば三月下旬、あの病院の乱暴な看護婦さんの点滴にわたしはひどいめにあったのでした。容器の揺れが腕に伝わって来て、腫れ上がって痛かったのよん(>_<)なんとか投句しようと病院から帰宅してそのまま詠んでしまいました。失礼いたしました。
もしかして、痛みの方をかたちにすればちょっとは陳腐から離れられたかしら?あかんかな?
私語おわりm(__)m
帽子:(ぴえた:勝手に糸遊を人名に解釈するのはまずいでしょうか?)
それは自由だと思います。ただ、あの時期に「糸遊」とこられたらやはり季語ととってしまうのではないでしょうか。上になにを持ってきても、中七下五は陳腐だと思います。作者の人ごめんなさい。ついでに言うと、吉原で働く女性たちの平均寿命が20代前半であったことを考えると、ぴえたさんの解釈はあまりにつらく、「美しくなんかない!」と思います。
(ぴえた:哀しさや切なさもおポエムなのかな?)
そうではありません。中七下五が…もういいですね。
ちなみにぼくも、生まれてはじめての点滴で液が漏れてえらいことになりました。腕の血管ちゃんと太いのに。
ぴえたくん:わたしは美しいなんて耽美してないよん。人ひとりをわたしの解釈に追い込んだ状況と言うものに憤りを持って解釈してるんですよん。
でも、ごめんなさい。季語だって知らなかった。。。ちのさんは季語を全部知ってるのかなあ。。尊敬します。
(帽子: ちなみにぼくも、生まれてはじめての点滴で液が漏れてえらいことになりました。腕の血管ちゃんと太いのに。)
容器が揺れて針が血管を破ってしまったのかも。。容器が揺れてるのはよくあることだって妙に納得できました(^.^)ありがとう!
帽子:(ぴえた:わたしは美しいなんて耽美してないよん。)
わかりました。失礼しました。
どっちかというと、(季語は)あんまり知らないほうに属しているとは思うのですが。ぼくは無季俳句をよく作るわりには、季語という体系自体はすごく好きです。
ぴえたくん:わたしはかなり漢字が強い方ですが、短歌を始めた時に、自分に読めない漢字があったのか〜と驚きました。この度、俳句に感心を抱きまして、季語とも気付かない、漢字も読めない、が多くて再度愕然としています。歳時記を見ていると民俗資料館のように思えて好きです。
洋子:<点滴の容器揺れゐる春寒し>  
これいただきましたが、私も昨年の春入院してまして一週間点滴漬けでした。血管が細いため、すぐ液が漏れて大変でした。紫に腫れて打ち身のように痛いのですよ!! ホントに涙がこぼれました。私もこの句は実感です。 
私は、昨年秋から、俳句を始めたのですが知識も語彙も乏しく、作るのはもちろんですが、選句と鑑賞も難しいなあと思っています。以前にぴえたさんが白粥の底の関東ローム層について書かれたのを読んで「ああ、ここまで深く読みとれるのか」と驚き、感心しました。これからもどうぞよろしく。
ぴえたくん: こんにちはっ1週間も点滴漬けなんて、大変でしたね。点滴の液が洩れると、ほんとひどい目に合いますよね。実感で選んで下さったのですね、ありがとう!選んでもらえた理由を聞けるのはうれしいですっ(^.^)
(洋子:私は、昨年秋から、俳句を始めたのですが、)
わあ、一緒ですねっ。わたしの歳時記もまだピッカピカですよん。自分が何を選ぶかどう受け留めるかで自分をさらけ出してしまうので、選句も鑑賞もこわいですよね。

春昼に青春を嗅ぐ古本屋   風子

秋 健介 いしず 逆選:万作 

秋:青俳にはめずらしい滋味の句。
帽子:エロじじい俳句?
健介:言い回しが“説明調”なこともあり「春昼」と「青春」が重複してかなり野暮ったい感じなのはできれば避けたいところか。でもそれも“青春っぽい”のか…とも。
万作:「古本屋」、好きですねぇ。「春昼」という季語が生きています。

2点句

書家の家の沈丁花泣き崩れけり   明虫

ぴえたくん けいじ 

ぴえたくん:「沈丁花泣き崩れけり」は沈丁花の芳香を言い得て妙、と感激しています。「書家」さんが泣いてる、そういうつながりなのかなあ。
一郎:「沈丁花が泣き崩れ」るという表現がおもしろかった。でもなぜ書家の家?。
帽子:不思議な句だ。

一触即発の白梅よく寝た書   谷

秋 亜美 

亜美:「一色即発の白梅」は実感がある。「よく寝た書」は?。
秋:「よく寝た書」がスッキリした書かなと思って、梅も書も人の生理や感情を入れて詠んでその二物配合の面白いと思った。
帽子:下五がわかりません。
あずさ:<書>が、<しょ>のような気がする。<よく寝たしょ>。<よく寝たじょ〜>。ハタ坊俳句。

大阪の蛸焼屋台つちふれり   村山半信

万作 (h)かずひろ 

(h)かずひろ:「うどんは二つでじゅうぶんですよ。わかってくださいよ。」
またたぶ:「蛸焼屋台つちふれり」には一味ある。
万作:芳ばしい匂い!「大阪の」が、きいてますね。
帽子:上五が大雑把すぎ。さては観光俳句だな。
あずさ:<つち>って、土なんだろうか? それとも槌? <土降る>は春の季語らしいが。。。なんでひらがななんだろう?

聖母祭ライオンの檻光満つ   秀人

朝比古 またたぶ 

またたぶ:議論が分かれる予感もするが、私は支持の方へまわる。素直に力強い。
朝比古:キリスト教関係の季語は中々便利。そんなことを再確認させてくれる句。
帽子:獅子はキリスト教イコノロジーでも象徴的な役割を担っているので、季語との相性はばっちり。惜しむらくは<光満つ>が<聖母祭>につきすぎで、句全体が単調になり、宗教プロパガンダに堕してしまっている。「みんな冬ひなたゴリラの影のほか」と並んでしまったのもお互い不幸だった。

みんな冬ひなたゴリラの影のほか   またたぶ

特選:薫 

帽子:トリッキーな構成。句意としては倒置して「ゴリラの影のほかみんな冬ひなた」ということになる。もちろん季語は<冬ひなた>なのだが、句跨りのせいで<ひなたゴリラ>などという変なものが一瞬ちらりと見えてしまうところがポイント。選句リストでこの句が「聖母祭ライオンの檻光満つ」と並んでしまったのはお互い不幸だった。
薫:ここで切って読んではいけないのだろうが、「ひなたゴリラ」。いーなぁ、ひなたごりら。「影のほか」ってちょっと冗漫な印象も受けますが、ナ音ののんびりした感じも好きなので特選です。だが、意味はちょっとわかりづらい。あ、特選にいただいてケチつけるようですみません。

はくれん散りぬ自慰おぼえ初むるごと   白井健介

半信 あずさ 

半信:大正ロマンの味わい。
帽子:隠喩が川端康成級の古さ。べつに新しければいいというものではないが、作者・読み手にレトロの自覚がないと、こういう句はやばいと思う。
あずさ:欲望というのは、ある種の無惨さを抱え込んでいる。自慰なんざぁ覚えぬうちが花かも。。。

代書屋にガタロと告げぬ菫草   しんく

景琳 けん太 

けん太:大阪の市井の暮らしを俳句にした小寺勇という俳人がいました。(もう亡くなったのかなあ、数年前から消息を聞かない・・。)その人を彷彿させる句です。菫草などと最後にロマンに走るとこなんか、いいですな。
景琳:「代書屋」(書:お題)からよく出せた,感心。
帽子:河童? なんで?
あずさ:<ガタロ>がわからない。

春を待つ秒針の無い約束   古時計

朝比古 (h)かずひろ 

(h)かずひろ:「秒針のない約束」という表現を秀逸と思いました。
またたぶ:「秒針の無い約束」は悪くない。「約束」と近すぎるから「待つ」を代えたらいかがでしょう。
朝比古:青春歌謡曲の世界。よくできたパロディーとして評価。
帽子:季語は<春を待つ>。<待つ>がはいってるとこに<約束>をぶつけるということは、季語を中七下五で説明してるだけ。それとも「春になったら……します」という約束なのか。だとしたら舌足らず。

桜蘂降る右端の筐の中   杉山薫

帽子 またたぶ 

またたぶ:「筐」の表記に力みが見られる。桜蘂も既にいろんな人がいろんなとこへ降らしているから、正攻法ではちとつらい。
帽子:<筐の中>に<桜蘂>が<降る>だけなら驚かないが、それを<右端>と言い当てたのが偉い。たぶん筺は複数並んでいて、たぶんそれに指一本触れずに言い当てたのだろう。<筺>はちょっと雅なので<桜>に近すぎる。「匣」だったらもっとよかった。

嘘を吐くことも忘れて卯月なり   あずさ

万作 けいじ 

けいじ:・・・忘れてた。
万作:ええ、ええ、まったくです。
帽子:こんな句は毎年エイプリルフール直後に全国で山のように書かれているだろう。

卒業証書三島由紀夫の腸(わた)長き   千野 帽子

凌 秋 逆選:隆 

秋:現代の卒業生なのか?と疑問に思いましたが、卒業証書としたところが情感に流れなくて良いなと思いました。
凌:三島の腸は三島につながったまま三島からはみ出して歴史の中をのたうっている。うまく言えないけど郷愁にしてはいけない重さのようなものに打たれるのは年令のせいか、あるいは「卒業証書」という言葉のせいか。

するするとするするするとうめ・さく   鬼灯

景琳 あずさ 逆選:満月 

景琳:「・」  (ゥ ) (ゥ) ( ゥ) キョロキョロしちゃいました。
帽子:ひょっとして「うめ・さくら」のミス? いずれにせよ手抜き。
満月:ほら、こういう句を出してくれるから、オノマトペに対する風当たりが強くなる。感覚だけの句は、よほど元の感覚、感じるアンテナが研ぎすまされ、かつ表記する言葉に対して磨かれていないと無惨なことになるという見本のようだ。
あずさ:ぱかっと花弁が開いた様子が見えるようだ。

余白に書き散らす時雨の恋文   来夏

特選:古時計 逆選:しんく 

帽子:破調にしてまでそんな大甘な句を…。疑問なり。
しんく:通常、文章は余白に書くものなので、「余白」をなんとかしてほしい。
古時計:時雨の恋文がとってもいい!

げんげんの腕ぐるぐるまわせばまわる   摩砂青

明虫 亜美 逆選:薫 

亜美:韻律は気持ちいいが、句の仕立て方はやや凡庸かも。
帽子:幼稚なふりをしている。初期『青山俳句工場』誌によく見られたタイプ。苦手。
明虫:腕は回るもの、ということを俳句で確認した、というところでしょうか。げんげん「の」腕とはとれず、げんげんや、と思う。
薫:げんげんには腕はない。まわせばまわる腕。まわさなきゃ廻らん。あたりまえなんだけど発想が好き。で、次回作期待の逆選です。

白チューリップ素顔を見せてくれないか   室田洋子

秋 古時計 逆選:輝 逆選:けいじ 

けいじ:花には詳しくないので、もし花言葉に意味があってその上での句なら私の知識の乏しさの責任ですが。これだけのものだとすると、何言っているんですか?といった感じしか受けない。
またたぶ:このクサさをそのままアップできる真直ぐさが私には眩しすぎる…
秋:感覚の効いた句でこれを特選でもよかったが、口語俳句の軽さが損をしていまった。
帽子:既視感があるが、悪くない。でも、なんで字余りにしてまで<白>なの?
あずさ:かなり好き。しかし、青嶋ひろのちゃんの手口に似ている。
古時計:比喩の白いチューリップは誰、想像がふくらむ

1点句

銀鱗の散らかっている奥座敷   凌

隆 

またたぶ:「散らかっている」といわれると、もう即物的な読みしかできなかった。
帽子:「散らばっている」だったら×。<散らかっている>だからこそすばらしい。

点滴の容器揺れゐる春寒し   ぴえたくん

洋子 

またたぶ:下五があまりに予想通り
帽子:こういう<ゐる>は隙がある。あと病院が舞台なら<春寒し>は言い過ぎ。「点滴の容器の揺れや浅き春」とでもするか。しかしそれ以前に、<点滴の容器>が<揺れ>てるなんて、もういいかげん俳句にするには陳腐だ。

臨書する窓や黄砂の空けぶる   万作

隆 

帽子:技術のある人だとは思いますが、<黄砂>というものは基本的に<空>が<けぶる>ものなので後半は馬から落ちて落馬するたぐいの畳語。<窓>のあと<空>なので<や>で切るほどの飛躍ではないかも。

海の果てその果てに果て仮灯台   いちたろう

古時計 

帽子:<果て><果て><果て>と連呼してなにがあるかと思わせといて<仮>灯台。オチのような下五が見事だ。
あずさ:芸がない。
古時計:果てのリフレインの使い方が好きです

彼岸花隷書のかほりがすくすくと   すやきん

斗士 

斗士:「隷書のかほりがすくすくと」魅力的なフレーズ。特に「すくすくと」って斬新だよな。。彼岸花はややつき過ぎか?
帽子:<が>がなければなあ。中七の字余りがダサすぎる。あと、せっかく春らしい中七下五に秋の季語を持ってきた理由は?
健介:一読した印象として「が」は要らない感じがした。それと「彼岸花」よりも「曼珠沙華」とする方が句の感じに似つかわしいのでは?という気がした。

サクラサク洗い立ての身上書   古時計

景琳 

景琳:「身上書」と「サクラサク」いい組み合わせじゃな〜い,ンエ。
帽子:中七の字足らずがダサすぎる。6と7の区別は指折ってでもしてほしい。

花冷や死海文書を横抱きに   杉山薫

満月 

一郎:表現意欲が買い。三語とも低温で均質すぎるのか、抽象的過ぎるのか、強く訴えてきてくれない。
帽子:<横抱き>はぼくもよく使う好きな語。<冷>の字があるため<死>が弱くなるのが惜しい。季語に再考の余地あり。
満月:花に死が来るところで定番的構図を思うところを、<花冷え><死海文書>としたことで、ぐっとクールに発想の陳腐を逃れた技法を買う。内容的にどこか不気味なのだが、<横抱き>で小脇に抱えるのではなく、かっさらっていく感じがするので、もっと切実と言うか、強奪して逃げるような大股な印象が発生した。
あずさ:かなり好きな句。

カルテ書く医師の頷き赤き牛   ぴえたくん

斗士 

斗士:「カルテ書く医師の頷き」が、いい広がりを醸し出す。「紅き牛」が今一つピンとこないのだが。。
帽子:こういう句にこそ季語があったらいいかな、とも思う。具体案はないが。
健介:「赤き牛」とは“赤べこ”のこと? だったら“赤べこ”と言わないと意味が通じにくいのではないかと私は思います。

養護室薔薇の微熱を持つ少女   いしず

一之 

またたぶ:「硝子の十代」全開!
帽子:先月の<微熱少年>のつぎは<少女>ですか。大甘ですな。
あずさ:ステレオタイプの少女マンガ。

月背負い、乱れる髪の棘残す。   来夏

景琳 

景琳:「、」「。」点と丸こんなのもいいかも。
帽子:「、」「。」はたぶん狙ったのだろう。だけど大袈裟すぎて自分だけ酔ってるところがマリスミゼルのクリップなみに笑える。

水仙生けビス降る夜の読書かな   山本一郎

凌 逆選:(h)かずひろ 

(h)かずひろ:「ビス」とは何の比喩でしょう?「ひょう」のことですか?
帽子:詰め込みすぎ。
凌:言葉がそれぞれに無意味に放り出されていて、まったく別の新しい意味を与えようとしているような、あるいは反発しあう言葉の意味を楽しむような不思議な感覚。

風呂敷につつむ書物や仮出所   凌

隆 逆選:斗士 

斗士:これは。。これだけのことではないだろうか。どういうジャンルの書物かが限定されていれば、まだしも。
帽子:ここまで陳腐だと中七の<や>切れまで風流ぶりに見えるから不思議だ。
あずさ:この囚人は読書家だったのですね。牢屋の中でも家でも本を読んでいる。マルキ・ド・サドは牢獄の内側からも鍵を掛けていたと言ったのは、誰だったろう。

春浅し手持無沙汰のチャイナドレス   (h)かずひろ

ぴえたくん 逆選:秀人 

ぴえたくん:チャイナドレスを纏ったスレンダーな姿態、しなやかな両手足が手持ち無沙汰にうごめく様が見えて、好きだわん。
秀人:ただ、チャイナドレスの後姿が妙に気になるので、個人的好みで選びました。あしからず。 チャイナドレス・シンドロームの夢のあと
帽子:ゆるい。

その他の句

書を読みて要らぬ知識の捨て難く   志摩 輝 

帽子:ただの物知り自慢。
あずさ:いらぬ書ばかり読んでいるのでは?

美男子が痛がっている雪だるま   谷

帽子:冷たいから?
あずさ:美男子が雪だるまの中に閉じこめられてしまったんだろうか。。。それって、美男子保護法違反だよね。(←んな、法律あるか?)

納税証待つ厚底のため息や   (h)かずひろ

帽子:<ため息>が<厚底>だとするとただの変な修飾だが、「厚底(の人)のため息」というつもりなら舌足らずであり、作者の怠慢。

花に落書掲げるとはこれはまた   小島けいじ

帽子:弱い。
あずさ:花が迷惑するでしょう。

旧友に書簡したたむ春炬燵   秀人

帽子:はー、そうですか。
あずさ:単なるモチーフ止まり。これを俳句にすると?

花粉症デビューに際し注意書(ちゅういがき)   白井健介

帽子:上五で切れているのかどうかによってかなり意味が変わってくる。

安息がふくらんでいく春の書よ   けん太

帽子:感じはよくわかる。好きな句だ。「安息がふくらんで春の書になる」ではどう?

春雷の置き土産かな月ほがら   万作

帽子:おポエム。小学生なら許す。先生を騙して喜ばせる俳句子役。
あずさ:<春雷>で、<月ほがら>、山笑うが春の季語なんだし、朧月も春の季語なわけで季重なりと言っても過言ではない。(←季重なりと言って、人の句を悪く言ったのははじめてだが。。。ふだんは、そーんなことは気にしないわたしなのに。。。)

春風にモダンジャズが良く似合い   すやきん

帽子:中七の字足らずがダサすぎる。6と7の区別は指折ってでもしてほしい。
あずさ:単なるモチーフ止まり。これを俳句にすると?

忙しく貧しく食す戦士らは   足立隆

帽子:んー。初期の阿部完市(『無帽』)にちょっと似てる。ただ<戦士>は1970年代の語「企業戦士」を想起させるため、読みが狭まるのが不利。
健介:とっても良く分かる。分かり過ぎてしまう。でも「忙しく」なかったり、「貧しく」なかったりする場合もあるでしょう、とか思えてしまったので…

上海に赤い帯あり春到来   けん太

帽子:なんで<到来>なの? <上海に赤い帯あり春>まではすごく格好良かったのに、<到来>で一挙にダメになってしまった。残念。

帯解いて行くぼうじ谷今混濁   明虫

帽子:<ぼうじ谷>? 不明。しかし<今混濁>がすごくいい。ぼくには思いつかないフレーズ。
あずさ:ぼうじ谷って?

悔いはない土俵に兄の卒業歌   城名景琳

逆選:一郎 

一郎:「若の花関を励ます集い」の席で披露すればきっと拍手喝采。それ用の句としてはとてもよいと思います。
帽子:ひょっとして時事俳句のつもり?
健介:もしもこれが“若乃花”にちなんで詠まれた句だとしたら、こういうのを(マジに)“あり”だとお考えになるのは如何なものかと私は思いますけど…
あずさ:つまらん。

書置きの亡き水死体春の川   風子

逆選:健介 

帽子:<亡>は<な>あるいは<無>の変換ミスだよね。でないと<亡き水死体>が馬から落ちて落馬するたぐいの畳語になる。<春の川>のようなのどか季語に不気味をぶつける発想もチープだが、それがまた<水死体>とはただただ安易。
健介:いくら何でもここまで“ひねり”が無いというのは、それはそれで凄いという気がしてくるぐらい逆選な句、だと私には感じられました。

介護保険足らぬお金は誰が払ふ   志摩 輝

逆選:半信 逆選:いちたろう 

いちたろう:さすがの(やさしい)ぼくでもけつまずいてしまいました。何ですか?誰かに払ってもらいたいのですか?それとも殊勝な憂国の方ですか?キッチュ狙いですか?それにしては無遠慮で、無防備すぎませんか?
半信:こんなこと俳句に詠んでどうするの?
帽子:ひょっとして時事川柳のつもり? 。川柳作家が読んだら本気で怒るだろうお座なりな標語。